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∞正午に「故郷の春」流した対馬、いまでは韓国の痕跡消す動き
対馬は韓国から最も近い外国だ。釜山(プサン)港から快速船に乗り1時間余りで着く。古代から韓半島
と密接な関係があるため島のあちこちに韓国関連の遺跡が散在している。このような遺跡は1~2年前ま
で対馬の自慢であり資産だった。対馬市は韓半島との縁を強調し韓国人観光客を誘致するため多くの
努力を傾けた。毎年対馬を訪れる10万人以上の韓国人観光客が地域の景気を左右するためだ。釜山
を出発した船が毎日正午に厳原港につく時間に合わせ、街頭スピーカーを通じ韓国の童謡「故郷の春」
を流していたのが象徴的な例だ。
そうした対馬の雰囲気ががらりと変わった。島のあちこちで韓国の痕跡を消す作業が真っ最中だ。
厳原から北に80キロメートルほど離れた上対馬には樹齢1500年のイチョウがある。「百済の木」
と呼ばれる日本の天然記念物だ。先月29日にここを訪れたところ、以前の案内板がまだ撤去され
ていない状態で新しい案内板が立っていた。以前の案内板には「1500年前に百済から伝えられた
日本で最も古い木」と記されていた。だが、新しい案内板からは百済という単語が消えた。
厳原の西にある入り江の左須浦は日本が麗蒙連合軍の侵攻に対し戦った遺跡だ。さびついて撤去
直前状態の以前の案内文には元軍侵攻要図という地図とともに当時の戦闘状況が詳細に記録されて
いた。元軍2万人と高麗軍1万人、元船5900隻などによる麗蒙連合軍と行った戦闘で日本軍1万人
余りが死んだという内容だった。だが、すぐそばに立てられた新しい案内文には高麗軍1万人余りが
参戦したという部分が抜けている。
厳原後方の山にある上見坂展望台は天気が良い日には釜山港まで見える所だ。以前にここにあった
案内文には「1624年宗重尚軍と阿比留軍が激しい戦闘の末に宗が勝ち対馬初代島主の座に就いた」
と記されていた。だが、いま立っている新しい案内文には「宗が対馬統治者の阿比留を倒し島主の座に
就いたという歴史は事実でない」と記されている。取材陣と同行したファン・ベクヒョン対馬研究院理事長
は、「対馬島主の宗氏一族が韓半島から渡ってきた韓国系という学説を否定するために案内文を直した
ようだ」と話した。
韓国の一部学界では「対馬島主宗氏の先祖が釜山和池山(ファジサン)で葬儀を行った」という
「東莱(トンレ)府誌」(1740年発行)の記録を根拠に、釜山東莱に住んだ宋氏が対馬に渡り宗氏
に改名したという学説を提起している。
遺跡の案内文だけでなく島のあちこちで親しげな雰囲気が反韓ムードに急変した現場を目撃するこ
とができた。3年前まで韓国人に売ろうとハングルで書かれたペンションと不動産広告がしばしば目に
ついた。だが、いまはすべて消えておりみつからない。
むしろ韓国人観光客が集まることに反対するデモまで行われている。太極旗を持った韓国人観光客
と日本の右翼団体がいざこざを起こすケースも発生している。対馬専門ガイドのパク・キョンリョン
渤海ツアー所長は、「右翼団体が韓国人観光客の前で『ごみはごみ箱へ、朝鮮人は朝鮮へ』というス
ローガンを叫んだりもする。一部の韓国人観光客が『対馬は韓国の地』という認識から行った露骨な
行動がこのような反発を呼んだ側面がある」と話した。「故郷の春」の音楽で韓国人観光客を迎えた
厳原埠頭のあちこちでは「対馬防衛隊」という団体名義で「対馬は日本固有の領土」と書かれた立て
札が目についた。
ソース:中央日報日本語版 2012年10月04日09時27分
URLリンク(japanese.joins.com)
画像:「百済から来たイチョウ」新しい案内板では削除…上対馬地域にある百済人が植えたという樹齢
1500年のイチョウ「琴の大イチョウ」の姿。
URLリンク(japanese.joins.com)
画像:撤去直前状態の旧案内文(上)には「1500年前に百済から伝えられた日本で最も古い木だ」
と記されていたが、最近立てられた案内文(下)ではそうした事実が抜けている。
URLリンク(japanese.joins.com)