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∞マニラ友好委員「より強い絆を」フィリピンの英雄リカルテ、横浜に20年間居住/横浜
フィリピン独立に貢献した3英雄の1人と称されるアルテミオ・リカルテ。そのリカルテが1915年に日本に
亡命し、横浜に約20年間住んでいたことはあまり知られていない。マニラ市と姉妹都市提携するなど、
横浜市とフィリピンとの関係は深い。横浜マニラ友好委員会委員長の二宮登さんは「フィリピンをもっと
知ってもらえるよう、交流の幅を広げたい」と話している。
市国際政策課や二宮さんによると、リカルテはフィリピン革命や米比戦争のころにフィリピンの将軍を務
めた。1896年に祖国独立のために挙兵し、スペインや米国と戦った。米比戦争後、上海などの監獄に
投獄されたが、1915年に脱獄し、日本に亡命した。
愛知県に上陸したリカルテは、21年から現在の横浜市中区山下町に居住。妻はフィリピンレストラン
「カリハン・ルビミン」を切り盛りし、リカルテは南区の県立商工実習学校でスペイン語教師として教壇に
立っていたという。
太平洋戦争が開戦した41年にフィリピンに戻ったが、45年に病気のためルソンの山中で80年の人生
に幕を下ろした。遺言により、遺骨の一部は日本に納められているという。フィリピンは46年に独立を宣言
した。
亡命生活中、「海はフィリピンとつながっている」として妻や孫、愛犬と山下公園を好んで散歩していた
リカルテ。71年にフィリピン協会(岸信介会長=当時)によって建てられた山下公園のリカルテ将軍記念
碑には、今も訪れる人が絶えないという。
横浜市は65年にマニラ市と姉妹都市提携を結んで以来、相互訪問や小学生同士の交流などさまざま
な形で絆を強めてきた。市内に居住するフィリピン人は約6500人(2012年7月)。市内在住外国人の
約1割を占めている。
9月1、2日に山下公園で初開催されたフィリピンフェスティバル。2日間で計約5万人という大勢の来場
者を前に、林文子市長はさらなる交流の促進を宣言した。
「開港以来、世界中から人や物を受け入れ、その思いをつないできた都市として、互いの文化を尊重して
生き生きと暮らせる真の国際都市を目指す。フェスティバルを通して新たな対話と絆が生まれ、友好関係
がより一層深まることを願っています」
ソース:カナロコ 2012年9月24日
URLリンク(news.kanaloco.jp)
画像:在りし日のリカルテ(左から2人目)。山下公園を家族と散歩するのが好きだったという
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画像:横浜市中区の山下公園に建てられているリカルテ将軍の記念碑
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