【竹島問題】加賀藩史料に「元禄の竹島」 鬱陵島めぐる経緯記述、[09/15] at NEWS4PLUS
【竹島問題】加賀藩史料に「元禄の竹島」 鬱陵島めぐる経緯記述、[09/15] - 暇つぶし2ch1:水道水φ ★
12/09/17 12:58:21.41
∞ 加賀藩史料に「元禄の竹島」 鬱陵島めぐる経緯記述

元禄(げんろく)年間の日本と朝鮮の領土問題「竹島一件」の詳細な記録を、加賀藩の 学者が説話
集に残していたことを、14日までに郷土史家の屋敷道明さん(77)=金沢 市大場町=が確認した。
当時、竹島と呼ばれ、韓国が現在領有する鬱陵島(ウルルンド) をめぐる「元禄の竹島問題」。説話
集には、これまで知られていない朝鮮側の様子も記載 されている。地方でありながら、外交情報を
詳しく把握していた加賀藩の情報収集力の高 さを示す史料といえそうだ。

 当時の竹島は、現在韓国領の鬱陵島を指す。現在の竹島とは別の島で、現在の竹島の北 西92
キロに位置する。当時、竹島は「松島」と呼ばれ、鬱陵島への寄港地として利用さ れていた。

 竹島一件について記されたのは、加賀藩5代藩主前田綱紀らに仕えた儒学者、青地礼( あおじの
り)幹(もと)(1674~1744)の説話集「可観(かかん)小説」。「日 本の竹島、朝鮮へ奪はるゝ事」と
題し、いきさつがまとめられている。屋敷さんは、金沢 文化協会が1936(昭和11)年にまとめた可
観小説の写しを確認した。

 竹島一件は1692(元禄5)年から96(同9)年にかけて、日本と朝鮮の間で起き た当時の竹島の
帰属をめぐる問題。幕府公認で当時の竹島に渡海していた因幡(鳥取県) 米子の商人一行が92年、
朝鮮人と遭遇したのが発端で、一行はこのうち2人を米子へ連 れて行き、幕府に訴えたが、最終的
に幕府は日本人が当時の竹島へ渡海することを禁じた 。可観小説の記述は外務省ホームページの
「竹島一件」の説明とほぼ合致する。

 可観小説の後半には、竹島に関する文献や史料を精査する竹島問題研究会(島根県)も 「聞いた
事がない」という記述がある。

 当時の竹島を、朝鮮側は「明白な日本の領土」と認識、事態の深刻化を恐れ、高官の首 を差し出
す覚悟をしていたという内容で、その後日本からの要求はなく、2人は朝鮮に帰 されたと結んである。

 竹島問題研究会委員の内田文恵さん(63)によると、元禄年間、朝鮮では穏健派と強 硬派による
権力争いで、当時の竹島をめぐる日本への対応が二転三転した。内田さんは「 情報が入り乱れる
中、日本では朝鮮の穏健派の話が脚色されて伝わったのではないか」と 推測する。

 可観小説では、竹島一件の内容は、輪番で対馬にいた京都の僧から1711(正徳元) 年に聞い
たと記される。屋敷さんによると、青地は、師の室(むろ)鳩(きゅう)巣(そ う)や、新井白石ら一流
学者を情報源にしていたとみられ、この件も室からの伝聞の可能 性があるという。

 可観小説は藩主や藩士だけでなく町人にも読まれていたとされ、屋敷さんは「加賀藩で は身分を
問わず、さまざまな情報を得られる環境にあったといえる」としている。


ソース:北国新聞 石川のニュース 【9月15日03時21分更新】
URLリンク(www.toyama.hokkoku.co.jp)
画像:「可観小説」の写しを示す屋敷さん=金沢市大場町
URLリンク(www.toyama.hokkoku.co.jp)





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