【慰安婦問題】 「慰安婦狩り」を告白した日本人、吉田清治~強制なかったと言う日本政府関係者はその著書読んで欲しい[09/09]at NEWS4PLUS
【慰安婦問題】 「慰安婦狩り」を告白した日本人、吉田清治~強制なかったと言う日本政府関係者はその著書読んで欲しい[09/09] - 暇つぶし2ch1:蚯蚓φ ★
12/09/09 15:30:20.77

 「慰安婦強制連行の証拠はない」と主張する野田首相の発言に憤慨した読者のキム・ウォンテさ
んが、自身の所有する日本の本を送ってきた。吉田清治という日本人が1972年に書いた手記だ
った。吉田氏は戦時中、下関で、労働者の徴用機関だった「労務報国会」の動員部長を3年間務
めた。吉田氏は、数多くの朝鮮人を強制的に連行して戦地に送ったが、当時の蛮行を悔いて『朝
鮮人慰安婦と日本人』と題する本を執筆した。

 吉田氏の証言は、現場を見ているかのように詳細かつ具体的だ。吉田氏は、日本政府の指示を
受けて韓半島(朝鮮半島)に渡り、朝鮮人を集めた。警察の護送車を先頭に慶尚北道永川一帯を
回り、若い男性を連行したという。当時、吉田氏の一行は朝鮮人を強制的に徴用することを「狩り」
と呼んだ。確かに、他人の家に押し入って人を連れていくという行為は、人間狩りにほかならない。

 吉田氏は、朝鮮人男性の「狩り」に対し、さほど罪悪感がなかったと語った。戦争中だったので仕
方がないと思ったという。そんな吉田氏も、女性を軍の慰安婦として徴用することには「嫌悪感」を
抱き「恥ずかしく汚いこと」と思っていた。戦場の慰安婦がどれほどひどい目に遭うか、吉田氏はよ
く分かっていた。吉田氏は「(日本軍の)1個中隊が列を作って待っていれば、慰安婦は1人で20
-30人の相手をしなければならなかった」と書いた。

 吉田氏に「慰安婦狩り」の指示が下ったのは、1944年の春だった。44年4月3日、「海南島に駐
屯する皇軍慰問のための朝鮮人女子挺身(ていしん)隊100人を徴発せよ」という命令書が出され
た。対象は18歳から35歳まで、月給は30円で、妊婦でなければ既婚者であっても構わないと書
かれていた。

 30円といえば安くはない額だが、これが欲しくて慰安婦に志願する朝鮮人女性がいるはずはな
かった。だからといって強引に連れていけば、騒ぎになりかねなかった。吉田氏と部下たちは、詐
欺を働くことにした。慰安婦ではなく、洗濯・掃除などを担当する雑役婦を募集すると偽ることにし
たのだ。最終的に、朝鮮に近い対馬の陸軍病院で1年間働く雑役婦を募集するという「偽の脚本」
を書いた。

 吉田氏の本には「慰安婦狩り」の手法が4章にわたって記録されている。警察署の刑事を含む4
人からなる吉田氏のチームは、下関の朝鮮人徴用者部落を回って「狩り」を行った。月給30円で
対馬の病院で働くと宣伝すると、朝鮮人女性が殺到した。誰もが、その金を手にして朝鮮に戻りた
いという希望に満ちていた。吉田氏のチームは、割り当てられた100人をわずか1週間で集めるこ
とに成功した。18歳未満も10人ほどいたが、指針に従い、年齢を18歳に書き換えた。

 後に吉田氏は「朝鮮民族に対する犯罪を、私は卑劣にも30年間隠してきた」と告白し、謝罪した。
吉田氏は、日本メディアにも自分の行為を打ち明けたが、日本政府は事実でないとして取り合わ
なかった。吉田氏の慰安婦募集は、銃剣の代わりに「わな」を使った、明らかな人間狩りだった。こ
の1冊だけでも、当時の日本による慰安婦強制連行は十分立証されている。「銃を突き付けなか
ったから強制的ではなかった」と言い張る日本政府の関係者は、この本をしっかり読んでもらいたい。

 吉田氏が募集した慰安婦100人は、4月10日に戦地に向かった。この日、下関港は朝鮮人の
女性やその家族で混雑した。「狩られた」女性たちは、自分を待ち受ける過酷な運命も知らぬまま、
金を稼いで故郷に戻るという希望を胸に、笑顔の花を咲かせていた。午後1時、2隻の汽船が朝
鮮人女性100人を乗せて出発した。目的地は、対馬の病院ではなく、南シナ海の前線にある日本
軍の基地だった。吉田氏は埠頭(ふとう)から、いつまでもその光景を見詰めていた。

朴正薫(パク・チョンフン)記事企画エディター
URLリンク(www.chosunonline.com)

ソース:朝鮮日報日本語版<【コラム】「慰安婦狩り」を告白した日本人>
URLリンク(www.chosunonline.com)



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