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「朝鮮、属国史」の始まり
918年 高麗建国
10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。(コリョ族もモンゴル族も同祖、東胡が匈奴に破れ四散したのは2200年前、ゆえに彼らの歴史も最長2200年)
14世紀 高麗滅亡、李朝建国。李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらった。
17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、アメリカの後押しで大韓民国が成立。
1950年 アメリカとソ連の代理戦争である朝鮮戦争が起き分断国家となる。
1991年 ようやく国連加盟、史上初めて世界から独立国家として認められる。
1993年 韓国、軍事独裁制を脱し、史上初めて独立民主政体となる。
現在 いまだ言論、学問の自由もなく民主主義とは程遠い国である。北は論外。
モンゴル式に創氏改名 文藝春秋社
モンゴル人が建てた元朝は、高麗を支配下において、あれこれと干渉してきた。司令官を駐屯させて、王家の世子(世継ぎの王子)を人質として、元に差し出させた。この世子がのちの忠烈王である。
忠烈王の帰国にあたって元の世祖フビライは娘と結婚させた。つまり、高麗王は、元の大汗(皇帝)の婿となったわけである。以後、歴代の王は、元の支配のもとに、有名無実となり、その後の王は、蒙古名を名乗ることとなった。
忠宣王はイジリブカ、忠肅王はアラトトシリ、忠惠王はプダシリというふうに、改名させられてしまった。また、モンゴル風に、弁髪を強いられ、衣服も蒙古風にさせられたという。
こういう強制は、のちの清朝の時にも行なわれている。韓半島の歴代王朝が、臣属している中国そのものが、異民族に蹂躙されてしまう。そうなると、これまで、中国の王朝の意を迎えるため、すぺてに中国式に徹底してやってきたことが、
無に帰してしまうのである。韓民族は、パニックに陥ってしまう。胡服弁髪を強制されることになり、中国に義理立てしてきた価値観が、蒙古なり、満州なり、そして日本なりという、
これまで、韓民族が蔑視してきた民族のものに、切り換えられてしまう歴史である。創氏改名は、日本人の専売特許ではなかった。歴史上、何度も、そういう目に遭ってきた民族なのである。