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李明博(イ・ミョンバク)大統領が独島(ドクト、日本名:竹島)訪問に続き「日王が謝らなければなら
ない」と要求した時から日本の激烈な反応と理性喪失は考えられたことだ。狂信と不可侵の「天皇」
の前で集団発作を起こす姿は彼らの属性で指導者はそれをそそのかす。イ大統領の表現が強く
て刺激的だったのだが、おかしな話では決してなかった。
日王の直接的な心からの謝罪は韓日両国の新しい関係のための通過儀礼として必ず決着さ
せなければならない懸案だ。彼らが歴史認識の浅はかさを表わしたのは昨日今日のことではない。
強者に弱く弱者に優越感を誇示する矮小な本性もまた今更だ。彼らから一生癒えない傷を負った
おばあさんらが目を開けているのに、日本総理という人は「慰安婦を強制動員したという証拠を出
せ」と基本的倫理意識まで失った乱暴を言う姿だ。
日本人の信仰するテンノウは半世紀の間、東アジアの無残な災難だった。(中略:幕末後の歴史経緯)
絶え間ない侵略で周辺国をじゅうりんし犯したすべての罪悪はテンノウの名前で強行された。責
任の頂点にいたのだから謝罪の主体は日王でなければならない。結局、終戦後マッカーサーが
統治の便宜のためポツダム宣言に明記された「日本の民主化」をあきらめ戦犯の親分ヒロヒトに
免罪符をくれたことから誤りだった。
その下手人らがまた断罪されず政治指導者によみがえった。それが日本という国が厚かましい歴
史不正と責任回避、相次ぐ妄言を日常的に行う問題の根源だ。その戦犯の子孫らはもはや侵
略戦争を正当化し数多くの虐殺と蛮行の犯罪を否認しながら過去を反省するどころかかえって美
化するのに狂奔する。さらに暇さえあればA級戦犯の位牌がある靖国神社を利用して軍国主義
復活をたくらんでいる。
第二次大戦の終わりが近づく1945年2月、ヒロヒトは三回総理を歴任した近衛文麿の終戦建議を
拒否した。その年4月イタリアのムッソリーニは殺害されドイツのヒットラーは自殺した。だが、ヒロ
ヒトは最後まで‘国体守護’‘本土決戦’‘一億総玉砕’で抵抗した。結局、8月広島と長崎の原子
爆弾惨禍を自ら招来した後、その自らの肉声で降参を宣言する。それでも「侵略戦争は私の意志
ではなかった」と軍部に責任を転嫁して免れた。
何の実権もなかったイタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は廃位されたが彼は席を守った。
そしてやっと1984年「両国間の不幸な過去は残念」という一言が36年間の侵奪であらゆる苦痛を
加えた韓国に対する謝罪の全部であった。その息子、明仁が1990年「痛惜の念を禁じられない」
と付け加えたが、これもまたどのように謝罪の表現になるのか分からない。
歴史の加害者として正しい謝罪をしようとするなら被害者が納得するべきだ。1970年西ドイツのブ
ラント総理がポーランドのユダヤ人墓地で謝罪したようにひざまずけといったのでもない。ただ痛
切な反省を前提にした歴史認識と犯罪行為に対する真の懺悔の姿勢を見せてくれというだけだ。
日王の「謝罪する」という一言でからまった結び目が解けるということだ。それが日本という国が持
たなければならない最小限の廉恥だ。
もちろん期待するのは難しく見える。安倍晋三元総理はそれさえも過去の過ちを反省するという意
味を入れた既存の日本政府談話さえもなかったことに戻すという。A級戦犯、岸信介の外孫らしい。
日本論の古典《菊と刀》を書いたルース・ベネディクトが看破した日本は「手に平和を象徴する
菊を持つが腰には人を害するための刀を隠した存在」だ。私たちが繰り返し刻まなければならな
い、必ずぴったりくる言葉だ。
チュ・チャングン企画審議室長・論説委員
URLリンク(news.hankyung.com)
ソース:京郷新聞(韓国語) 本当に恥知らずな日本という国
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