12/08/29 11:41:46.85 5rRraPo9
"王妃は日本人によって屋号ルー(玉?楼)で殺害された。
しかし、日本人は王妃の顔を知らなかったので、確かに王妃のかどうかを知ることができなかったので、
宮女と王太子イチョク(李)を連行して確認させたのだろう。
そう殺害した後師事雅之は、王妃の体にかかっているの香袋やその他の貴重品を奪って他の私の粒子(乱入者)もまた、
王妃の部屋で様々な物品を奪っていった。(<王妃?害>?第57号)と内田は報告している。
また王妃を引き出し、2、3カ所の印象(刃?)を塗り、また裸に局部検査
(局部??=可笑又可怒 - 原注)をしたとまで言われている。
(<日本の?国?合>山べ健太郎ください(山?健太郞)太平出版社1966年。pp 51?52)
その時三浦は出廷して国王を謁見していた。犯人は事後処理の指示を緊急に必要としたので、
三浦は謁見の途中席を離れ王妃の遺体(死体)を確認してする原に急いで片付けとコマンドして再謁見の間ガイドに戻りつつある。
(<太山岩>第4卷。p。432)だからするよう王妃を屋号ルー東の庭に薪を積んで石油をかけて火をつけて燃やしてしまった。
それは罪の証跡(?迹)を隠滅(湮?)するために(<王妃?害>公信第98号)であった。"