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▲1970年12月寒冬にポーランドのワルシャワを訪問した西ドイツのウィリー•ブラント首相(当時)
がユダヤ人の慰霊碑の前で膝まづいて謝罪している。
日本の野田佳彦首相が李明博(イ・ミョンバク)大統領に送った「抗議の書簡」(親書)が、両国の
対立をさらにあおっている。野田首相が李大統領に書簡を送った表面的な理由は、李大統領によ
る独島(日本名:竹島)訪問だが、本当の理由は別にある。李大統領がアキヒト(明仁)日王を批判
したことだ。日本について詳しいQ氏は「韓国による日王(天皇)批判に対応しなければ、これ以上
首相の座を維持できないからだろう」と述べた。
李大統領は今月10日、韓国の大統領として初めて独島を訪問したが、この時点で日本の対応
は比較的落ち着いていた。李大統領による独島訪問を、自分たちが望む「独島の紛争地域化」に
利用できると考えていたからだ。
ところが日本の雰囲気が急変するきっかけとなったのは、14日に李大統領が行った日王批判だ。
李大統領はこの日、韓国教員大学で開催された、校内暴力をめぐる教師たちのワークショップで、
ある教師が独島訪問の感想を尋ねた際「(日王が)『トンソク(痛惜)の念』などの単語を持ってくる
だけなら、来る必要はない」と発言した。
日本の政治家たちはこの発言が報じられると同時に「礼儀知らずだ」「無礼だ」などと先を争って
批判した。野田内閣が追加の「報復措置」に着手したのも、この日王批判が大きく作用している。
しかし韓国の立場からすると、日王批判に日本の政界がこれほどまでに敏感に反応する理由が
理解できない。
韓国史から見ると、日王の父親、ヒロヒト裕仁は1926年の即位後、植民地支配期に我が民族全
体を迫害し弾圧した人物で、太平洋戦争では韓国の若い男性を銃の盾とし、若い女性を日本軍
の性的奴隷とした、まさに「特別A級戦犯」だ。今なお韓国民族を苦しめる南北分断も、彼が統治
していた日帝時代の統治が原因になっている。その日本の王室に対し「韓国に来たければ、韓国
の独立運動家が全てこの世を去る前に、心から謝罪せよ」と求めたわけだが、これは当然の要求
だ。李大統領による発言は、時期的には問題があったかもしれないが、決して言ってはならない
言葉ではない。
これまで韓国の大統領や政治家は、日王を神聖視する日本の特殊な状況を意識し、可能な限り
日王に関する発言を公の席では控えてきた。今考えれば、こちらの方がおかしなことだ。
米国も同じだ。日王が日本で占める立場を考慮し、戦犯の日王には戦争の責任を問わず、日本
の王室の存続を認めたのだ。
このような背景から、ヒロヒト-アキヒト父子は国際社会の要求があるたびに、歴史に対する遺
憾の意を少しずつ表明することで、責任を回避することができた。1989年に即位したアキヒトは
「平成」を年号として使用している。『史記』の「内平外成」と『書経』の「地平天成」から引用した平
成という言葉は「世の中と日本内外の平和を願う」という意味だ。
このように日本の王室が訴える平和を実現するには、まずは心から過ちを認め、これに対する
批判を受け入れる勇気から持たなければならない。西ドイツのブラント首相(当時)は1970年12
月、ポーランドのワルシャワにあるユダヤ人犠牲者慰霊碑前で膝をついて謝罪した。日本もこの
事実を思い起こすべきだ。日王は決して神聖不可侵ではない。
手遅れになる前に、アキヒトもブラント首相のように膝をついて謝罪する写真を歴史に残すべきだ。
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李河遠(イ・ハウォン)政治部記者
ソース:朝鮮日報(韓国語)[記者手帳] "日王、独立運動家に謝罪せよ" ...何が間違っている
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