12/08/10 09:34:54.80
2日、ソウル江南(カンナム)開浦洞(ケポドン)の銀行支店に白いかつらをかぶりサングラスをかけた30代の男が現れた。
ガス拳銃で職員を脅し、2000万ウォン(約140万円)を奪った強盗は、銀行の前にあったタクシーに乗った。
強盗はタクシーの運転手に「ゴー、ゴー(Go Go)」と叫んだ。タクシー運転手は車のエンジンを切って逃げた。
警察はタクシー運転手の申告を受け、出動2分後に強盗を捕まえた。
検挙された強盗K(39)は1974年10月に養子として米国に渡った。
アリゾナ州で馬1000頭を飼育する米国人夫婦のもとで裕福に育った。しかし養父母が事故で死亡し、不幸が始まった。
養父母がKに米国市民権を与える手続きを踏まず、財産を相続できなかったからだ。
Kは暴力団の世界へ入った。2000年に麻薬と暴力容疑で逮捕され、刑務所で7年間を過ごした。
Kは市民権がないうえ、犯罪を犯したため、韓国に強制追放された。07年に韓国に来たKは英会話教室の講師をしていたが、
再び麻薬に手を出し、1年間、刑務所生活をした。先月10日に出所したKは前科のため仕事を探せず、生活に苦しんでいた。
Kのように養子として米国に送られた後、市民権を受けられず適応できないケースは少なくない。
韓国で捨てられた後、米国社会でもまた捨てられているのだ。米国では海外から養子を受け入れた場合、
裁判所に出席し、市民権取得手続きを踏まなければならない。不法移民者があふれているからだ。
ところが一部の養父母は費用と時間がかかるという理由で市民権取得手続きをしていない。
海外養子縁組連帯のオ・ミョンソク運営委員は「米国で市民権を受けられなかった人が
年間5-10人ほど訪ねてきて助けを求める」と述べた。海外養子保護民間団体「根の家」には、
米国で市民権がないため韓国に追放されたという話が入る。
1978年に養子として米国へ渡ったシラーさん(34)は「大学に進学しようとしたが、米国の市民権がなかったため、
外国人学生のように高い学費を要求された」と述べた。シラーさんは「養父母は私を養子にし、社会保障カードの発給を受け、
税金の優遇措置を受けることばかり考えていた。市民権を得る手続きは考えていなかった」と主張した。
シラーさんは学校と町内でいじめを受け、8歳の時に韓国にまた戻ろうとした。シラーさんは「兄弟と一緒にいる時、
私が質問をすれば誰も返事をせず、寂しい思いをした。壁に向かって話しているような感じだった」と語った。
77年に米国で養子縁組されたモさん(38)は小学校を卒業すると、すぐに寄宿軍事学校に送られた。
モさんは「刑務所のような雰囲気で人種差別を受けた」と当時を振り返った。18歳の時に養父母から
「もう家を出て行け」と言われ、ロサンゼルスに行き、そこで5年間、野宿生活をしたという。
「根の家」のキム・ドヒョン院長は「養父母の保護を受けられない養子は、韓国に追放された後も適応できず
‘国際迷子’になっている」と指摘した。
米国政府は養子縁組機関の指摘を受け、01年から法を改正し、養子が市民権を受ける手続きを簡素化した。
しかし外交官や派遣軍人が韓国に居住して孤児を連れてきたり、非公式的に養子縁組した場合には
まだ複雑な市民権発給手続きを行わなければならない。
養子縁組政策を担当する保健福祉部は今年から、海外養子16万人に対し、市民権取得などを全数調査することにした。
保健福祉部のイ・ギョンウン児童福祉政策課長は「養子を不法滞在者と同じように扱うのは正しくない。
全数調査を行い、不利益を受ける養子を支援することを検討している」と述べた。
2012年08月10日08時50分 [中央日報/中央日報日本語版]
URLリンク(japanese.joins.com)
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