12/08/05 20:41:32.42 O+HrGMxA
彼女にかぎらず、外見上「西洋人」の容貌をもつ者はみな同じだった。
彼らのなかには「誤爆」を避けるためにカナダ国旗のTシャツを着たり、オランダ国旗のステッカーをカバンに貼ったりする者もいたが、
それほど効果があったとは思えない。
シュプレヒコールに酔った群集は、小さなステッカーなどには目もくれず、
金髪や青い目をもっぱらの標的とした。黙っていればわからない日本人にくらべ、
外見的な違いが明らかな白人はその点が不利だった。
「左翼学生」「酔っ払い」とともに頭が痛かったのは、タクシーの問題である。
当時、韓国のタクシーは、行き先によっては乗車拒否やり放題だったが、
西洋人の場合は行き先以前、外国から来たという「来先」の問題だった。
紅毛やら碧眼やら、その風体だけで乗車拒否の対象になった。
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「英語を話すのはめんどうだ」というタクシー運転手の気持ちもわからないではないが、
韓国語を話せる西洋人にとって、これほど不条理なことはなかった。
私たち日本人や中国人留学生は、彼女たちを電信柱の陰に隠してタクシーをつかまえるしかなかった。
「韓国はレイシズムの国。もうこんな国では暮らせない」
多くの西洋人留学生か韓国生活を途中で断念し、帰国の道を選ぶか、ほかの外国に向かった。
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九〇年代初頭は、韓国で暮らす西洋人留学生にとって、まさに受難の時代であった。