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【書籍】 天日塩が伝統の塩?百年前には無く日帝が台湾真似て天日塩田作った~「小さいけれど大きな韓国史、塩」★2[08/04] - 暇つぶし2ch1:蚯蚓φ ★
12/08/04 22:31:42.62

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▲「小さいけれど大きな韓国史、塩」ユ・スンフン著|420ページ|2万ウォン
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1946年4月、ソウル、龍山(ヨンサン)塩配給所に人波が押し寄せた。塩を二斤ずつ配るという報
せがあったからだ。2カ月以上塩を見ていない住民たちはお吸い物に入れる塩さえすっかり無くな
って不満が溜まっていた。ところが手に入れて見ると、塩には銀色の砂のような異物が混ざってい
た。苦味まであった。この塩を食べ物に入れた住民たちは腹痛と下痢に苦しめられた。新聞には
「配給塩有毒説?」のような記事が載った。

銀色の砂のような異物は澗水が固まってできた硫酸マグネシウムだった。澗水が十分に抜けない
不良塩を配分したのだ。解放後の一時的混乱のように見えるが、不良塩騒動は日帝強制支配期、
日本が北朝鮮だけに天日塩田を集中的に設立したので起きた構造的問題であった。8・15解放で
南北が分かれ天日塩田が絶対的に不足した南側は塩飢謹に苦しめられた。

歴史民俗学専攻者のユ・スンフン(42)釜山(プサン)博物館学芸研究員は塩を材料にした韓国史
を再構成する独特の本を書いた。
(中略:朝鮮の塩の歴史)

著者は天日塩を私たちの伝統的塩と考えている現実が不満だ。天日塩が入ってきたのはわずか
一世紀前の事。日帝が朝鮮末、台湾のものをまねて持ってきたということだ。我が民族が本来使
っていた塩は海水を沸かして作った'煮塩'。特に西海岸に発達した干潟を利用して塩を得る方式
が盛んだった。干潟の有機物が塩に混ざり、おいしくて身体に良い塩が作られた。

問題は海水を沸かす塩釜に使う燃料であった。朝鮮時代はずっと木材のほか適当な燃料がなく、
塩田の周囲は禿山になってしまった。

日帝は1907年仁川(インチョン)に初めて天日塩塩田試験場を設置した。李完用(イ・ワンヨン)を
はじめとする大臣たちが直接視察に来て塩を焼く広場を視察する程、関心を傾けた懸案だった。
天日塩は食用だけでなく、武器・軍需産業に必要な化学工業の必需品だったからだ。

日本には天日塩を生産できる地理的条件を整えたところがなかった。このために立地条件が優れ
た朝鮮を天日塩供給地に決めて、集中的に天日塩田を設立した。この時から伝統的な塩生産地
であった忠清(チュンチョン)、全羅(チョルラ)、慶尚道(キョンサンド)の塩生産は衰退した。

さらに日帝は塩生産の産業が弱い北朝鮮に集中的に天日塩田を作った。解放後、塩飢謹に苦し
められた南側では、6・25の時、市場で米一斗と塩一斗を交換したほどだった。李承晩(イ・スンマ
ン)政権は1952年から'塩増産5カ年計画'を進めて大々的に天日塩田増設を行い、結果は大成
功。1957年には10万トンの塩が過剰生産された。このために1960年代以後、塩生産はずっと下
り坂だった。

著者は'塩'を主題に高麗(コリョ)大文化財協同過程で博士学位を受けた。歴史学科文学、民俗学
の境界を行き来する柔軟な研究方法も興味深いが、各地の天日塩田、塩田跡を見て回った踏査
記の文才もある。

キム・キチョル記者

ソース:朝鮮日報(韓国語) 天日塩が伝統塩?100年前にはなかった
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