【韓国】 日本統治時代の「恥辱の歴史」の記憶をとどめる日本式家屋 「敵産家屋」反対乗り越え観光拠点に [07/23]at NEWS4PLUS
【韓国】 日本統治時代の「恥辱の歴史」の記憶をとどめる日本式家屋 「敵産家屋」反対乗り越え観光拠点に [07/23] - 暇つぶし2ch1:九段の社で待っててねφ ★
12/07/23 15:18:23.01

 日本統治時代、日本に運ばれるコメの最大集積地として栄えた韓国中西部の港町、全羅北道群山
(クンサン)市で、当時、建てられた日本式家屋を活用した観光の拠点づくりが進んでいる。韓国の人に
とっては「恥辱の歴史」の記憶をとどめる家屋。それでも復元して宿泊施設を造るなど、新たな試みを
行う現場を訪ねた。 (ソウル神屋由紀子)

 かつて日本人町だった旧市街には、今も古びた日本式家屋が点在する。その一角では、市が「歴史
景観地区」と名付け、日本式家屋の建て替えや補修作業を進めている。

 「日本だと壁に木材を使うところに石灰を多用するなど、群山の気候に合わせて少し形を変えて建てて
いたようです」と市の担当職員、朴京民(パクギョンミン)さん。地元の人が住み続けて傷んだ家屋を市の
所有にして保存。実測調査を経て、元通りに復元する計画だ。畳の部屋のある5棟は計約50人を収容
できる宿泊施設に。別の長屋にはおでん、清酒、うどんなどを出す飲食店やカフェを入れ、8月末には
オープンする予定だ。

 韓国では日本式家屋は「敵産家屋」とも呼ばれる。群山で観光資源に活用するアイデアは6年前、
「歴史は過去と現在の対話」を持論とする文東信(ムンドンシン)市長が旧市街の活性化を選挙公約に
掲げたのがきっかけとなった。

 群山には日本統治期の1930年代、1万人超の日本人が住み、数多くの日本式家屋が建てられた。
日本統治からの解放後も、日本人が去った家に韓国人がそのまま暮らし続けた。中には日本式の
瓦屋根で、韓国式床暖房「オンドル」を備えた家も残り、独特な趣で映画撮影などにも使われている。
幼少時代を群山で過ごし、再訪する日本人も多く、観光資源としての価値が見いだされた。

 旧市街では昨年9月、30年代の街並みを再現して当時の生活を紹介した「群山近代歴史博物館」が
開館。国の登録文化財に指定されている十八銀行(長崎市)の旧群山支店や旧朝鮮銀行支店の
補修も進む。十八銀行旧支店は、日本統治時代の建物を写真やミニチュアなどで紹介する展示空間に
する予定だ。

 一方で、保守団体などから「植民地時代の残滓(ざんし)に税金を使い、観光資源にするのか」との
批判も絶えない。それでも「負の歴史」の残影を積極的に活用するのはなぜか。

 「日本に侵略、支配された歴史自体は否定できない。韓国でも当時のことをよく知らない人が増えて
おり、その記憶をとどめるための事業だ」と市の金錫根(キムソククン)近代文化施設係長は意義を強調。
「反日教育を施す意図は全くない」と言い切る。

 日本統治時代を、単に「侵略」「抵抗」の文脈だけでなく、自分たちにつながる歴史として見つめ直す
試みは地元の人にも出ている。

 旧市街にある「李盛堂(イソンダン)」は韓国で最も古い製パン店だ。創業当時の45年から作り続ける
あんパンを買い求めに、全国から人々がやって来る。そのあんパンは、日本統治時代に日本人が伝えたと
みられている。

 「日本時代、群山にはパン屋が5軒あったそうで、港が栄えていたので砂糖や小麦粉が手に入りやすかった
ようです」と金賢珠(キムヒョンジュ)社長。この店がある場所には日本統治時代、日本人が経営する
菓子店があった。当時の経営者の子孫は現在、佐賀県伊万里市で「いづもや菓舗」を営む。李盛堂とは
直接、関係はないながらも、金社長はいづもやを何度も訪れ、往時の様子を調べている。

 日本式家屋の再活用は、西部の仁川や南部の木浦なども取り組む。金社長は「韓国も経済成長して
人々の生活が安定し、余裕を持って昔を懐かしめるようになったのではないか」と語った。

ソース   西日本新聞 2012年7月23日
URLリンク(www.nishinippon.co.jp)
韓国群山市の旧市街で建て替え中の日本式家屋。市は宿泊施設に使い、日本人観光客などを誘致したい考えだ
URLリンク(www.nishinippon.co.jp)
1930年代の街並みを再現した群山近代歴史博物館。当時の服装に着替え、屈託なく記念写真を撮る韓国人観光客
URLリンク(www.nishinippon.co.jp)



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