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【書籍】「韓国美術5000年」の生みの親・崔淳雨の生涯[07/22] - 暇つぶし2ch1:HONEY MILKφ ★
12/07/22 11:39:36.47
【新刊】イ・チョンリョル著『兮谷・崔淳雨 韓国美の巡礼者』(キムヨン社)

(写真)
URLリンク(www.chosunonline.com)

「遠くから眺めても近くでなでてみても、無量寿殿はどっしりと寛大な姿をしていて、近視眼的で
神経質な高慢さがない」

「無量寿殿のエンタシスの柱に寄りかかり」など名文を操る美術評論家にして、国立中央博物館長
を務めた博物館の行政マン、さらに韓国各地の発掘現場を渡り歩く考古学者でもあった兮谷・崔淳雨
(チェ・スンウ)=1916-1984、兮谷は号=の評伝。著者は2010年に『澗松チョン・ヒョンピル』を執筆
した後、兮谷が残した約600編の文章をくまなく探し出し、改めて現代の巨人の肖像を描き出した。

本書は、日帝時代から抜け出し基礎から改めて積み上げていかなければならない時期をくぐり抜けて
きた兮谷の生涯の記録であると共に、韓国の博物館史ともいえる。兮谷が博物館に入門したのは、
高校(松島高等普通学校)を卒業した翌年の1935年のこと。文学青年だったが、大学に進学できる
ほど生活が豊かではなかった兮谷は、当時開城博物館長だった高裕燮(コ・ユソプ)の勧めで博物館
の世界に入り、国立中央博物館長として殉職するまで、生涯を博物館とともに歩んだ。

博物館の開館初期は、無から有を作り出していた時代。開城に進駐した米軍が「駐屯地を作る」として
高麗王宮跡の満月台にブルドーザーを持ち込むのを妨害したほか、6・25戦争(朝鮮戦争)の最中に
共産主義者が統治するソウルで金載元(キム・ジェウォン)館長と共に博物館の遺物を包んだり解い
たりして時間を稼ぎ、貴重な遺物を北朝鮮に奪われないよう努力したエピソードなどは有名だ。

平易な中にも後味の良さが残る文章で韓国の文化財の素晴らしさを広く伝えたという点が、兮谷の
業績だ。兮谷は、既に1950年の時点で、ある新聞に寄稿した一文にて「青磁象嵌雲鶴紋梅瓶」の
美しさをこのように紹介していた。「静かで清楚な淡碧色をしており、すっきりつやのある緋色の下地と、
大きいが脆くはなく、滑らかだが端正で、端正だが暖かみある、あたかも伽耶琴の古い旋律を聞いて
いるかのような瓶全体の美しい線が秀でているが、この線こそが、高麗の陶磁器の同類共通の特有
なる曲線なのだ」。今読んでも、すぐに駆け寄って実物を自分の目で確認したくなる衝動をかき立てる
文章だ。兮谷がこうして韓国の文化財を紹介した解説文だけでも280編に達する。

今では誰もが口にする「韓国美術5000年」という言い回しもまた、兮谷の作品だ。1975年、ソウル市
江東区岩寺洞で発掘された櫛目文土器が紀元前3000年ごろに作られたものだと判明すると、崔淳雨・
国立中央博物館長は「韓国美術の歴史は2000年ではなく5000年」と新たに規定し、その翌年、日本
の3大都市を巡回する遺物展示会のテーマを「韓国美術5000年展」とした。弥勒半跏思惟像など韓国
の華麗な文化遺産をPRしたこの展示会は、米国や欧州でも開催され、外国人には韓国文化に対する
新たな認識を、また韓国人同胞には自負を植え付けた。416ページ、1万8000ウォン(約1250円)。

ソース:朝鮮日報
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