12/07/17 10:02:43.23 JQfrQniz
郭汝霖の「界地」は、尖閣中国領の根拠の一つとして既出。
それを今更
「調査で分かった。」
などと新たに発見したかのような文を書く時点で、日本の正当性が疑われる
なるほど陳侃使録では、久米島に至るまでの赤尾、黄尾、釣魚などの島が琉球領でないことだけは明らかだが、それがどこの国のものかは、
この数行の文面のみからは何ともいえないとしても、郭が赤嶼は琉球地方を「界スル」山だというとき、その「界」するのは、琉球地方と、どことを界するのであろうか。
郭は中国領の福州から出航し、花瓶嶼、彭佳山など中国領であることは自明の島々を通り、さらにその先に連なる、中国人が以前からよく知っており、中国名もつけてある島々を航して、その列島の最後の島=赤嶼に至った。
郭はここで、順風でもう一日の航海をすれば、琉球領の久米島を見ることができることを思い、来し方をふりかえり、この赤嶼こそ「琉球地方ヲ界スル」島だと感慨にふけった。
その「界」するのは、琉球と、彼がそこから出発し、かつその領土である島々を次々に通過してきた国、すなわち中国とを界するものでなくてはならない。
これを、琉球と無主地とを界するものだなどとこじつけるのは、あまりにも中国文の読み方を無視しすぎる。
こうみてくると、陳侃が、久米島に至ってはじめて、これが琉球領だとのべたのも、この数文字だけでなく、中国領福州を出航し、中国領の島々を航して久米島に至る、
彼の全航程の記述の文脈でとらえるべきであって、そうすれば、これも、福州から赤嶼までは中国領であるとしていることは明らかである。
これが中国領であることは、彼およびすべての中国人には、いまさら強調するまでもない自明のことであるから、それをとくに書きあらわすことなどは、彼には思いもよらなかった。
そうして久米島に至って、ここはもはや中国領ではなく琉球領であることに思いを致したればこそ、そのことを特記したのである。