【ブログ】韓国教授(88)が告白「殺される覚悟で言う。韓国人は強制従軍慰安とか歴史捏造をやめるべきだ」★7[07/05]at NEWS4PLUS
【ブログ】韓国教授(88)が告白「殺される覚悟で言う。韓国人は強制従軍慰安とか歴史捏造をやめるべきだ」★7[07/05] - 暇つぶし2ch168:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/07/06 08:10:26.81 WrAr2zT0
>>1
漁火6・7面  特集 武士道の覚醒と強い日本を願う
崔基鎬(チェ・ケイホ)氏 1923年生まれ。
明知大学助教授、中央大学、東国大学経営大学院教授を経て、現在、加耶大学客員教授
URLリンク(www2.odn.ne.jp)

搾取されたのは日本

  そうした状況にある李朝を隣国において、1868年日本は明治を迎えます。当時の世界は強いものが弱いものを食う
時代です。日本にとって清もロシアも大国です。その力が、清の属国になっていた李氏朝鮮、すなわち朝鮮半島から
日本にやってくるという危機感が日本にありました。だからそれを防ぐために日本は、朝鮮としっかりと手を結ぶ必要が
あったのです。
  そこで1876(明治九)年二月、李朝と「日朝修好条規」を結びます。李朝成立後、484年が過ぎたときのことです。
それは李氏朝鮮に、独立国家であってほしいという願いがありました。それが第一条にある「朝鮮国は自主の国」と
いう言葉に表れています。これはきわめて重要な意義を持っています。
  しかしそうした清と朝鮮との主従関係を断ち切ろうとした日本の狙いは、実際その実現はほど遠く、民衆は相も
変わらず、塗炭の苦しみを味わいつづけていたのです。
  1897年、李朝は国号を「大韓帝国」とあらため、年号を「光武」とし、王を皇帝と称し、表面的には510余年ぶりに
明・清の束縛を脱し、独立国家を形成したのですが、清の保護下にある李朝の専横は変わるところがありませんでした。
それは近代化と自主独立の道を拒否しつづけることであり、列強が蠢くなか李朝の存在は、東アジアの情勢に不穏な
種を宿していたことになるのです。
  1904(明治37)年、日清戦争に次いで日露戦争を控えた日本は、こうした朝鮮の惨状を見かねて、目賀田種太郎
(1853~1926年)を財政顧問として派遣し、日本からの財政支援をもとに、李朝をまともな国として立て直すという態勢
がようやく緒につくことになります。
  目賀田財政顧問と総監府は、朝鮮の歳入不足分を補填するために、日本国民の税金から、大韓帝国政府に無利子、
無期限の資金「立替え」を実施したほか、直接支出で援助しました。
  例えば1907年度、朝鮮の国家歳入は748万円しかなく、必要な歳出は3000万円以上ありましたから、その差額は
全額日本が負担しています。1908年には、これがさらに増えて、合計3100万円という巨額の資金を日本は支出して
います。
  総監府時代の四年間に、日本政府が立て替えた朝鮮の歳入不足分は、1428万円にものぼっています。そればかり
ではなく、司法と警察分野などに日本政府が直接支出した金額は、立替金の数倍、9000万円に達しています。
  現在の朝鮮・韓国の歴史では、このような日本の特恵的支援には一言の言及もありません。そして侵略だけを
強調していますが、これがいかに偏狭な歴史観であるかということが分かると思います。それら詳しい数字については
本に書きましたが、日韓併合によって、搾取されたのは、韓国・朝鮮国民ではなく、日本国民であった事実を認める
べきでしょう。


親日派というレッテル

 最近韓国では、親日派という言葉をつかって政敵を糾弾する動きがあります。しかし、そもそもおかしいのは親日派
という言葉です。戦前から東京にいた私は、年に1~2回はソウルとか当時の平壌に行きました。その当時の韓国人は
日本人以上の日本人です。劇場に行くと映画の前にニュースがありましたが、例えばニューギニアで日本が戦闘で
勝利をおさめたという映像が流れると、拍手とか万歳が一斉に出ます。
 私は劇場が好きで、日本でも浅草などに行って見ていましたが、韓国で見るような姿はごくわずかです。韓国では
ほとんど全員が気違いのように喜びます。それは当時としてごく普通の姿ですから、特別に親日ということではあり
ません。だから基本的に親日派という言葉はないのです。それを無理やり「親日派」という言葉のレッテルを貼って
糾弾する。それが今の韓国で、政治的にやられていることです。


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