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熟語はメイドインジャパンだろうがw
漢字が表す二つの世界
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漢字に対する違った考え方が、二つの異なる漢字の世界をもたらした。その優劣は、一概に論じられない。
しかし、西洋文明が東側に浸透してきた「近代化」の歴史背景の中で見れば、その優劣ははっきりと示されて
いる。当時、激しく湧き起ってきた近代化の流れと西洋の科学文化に直面した中日両国の学者たちは、まったく
異なる姿勢と反応を示したのである。
たとえば、西洋の科学に関する著作を翻訳する際、清朝末期の中国の学者は「中学為体、西学為用」(中国の
学問を「体」とし、西洋の学問を「用」とする)という文化的な信念を堅持し、中国の古典を引用して西洋科学の
概念を既存の語彙に置き換えようとした。例えば現在の「経済学」を、「計学」あるいは「資生学」と翻訳したり、
「社会学」を「群学」と訳したりしたのである。しかし結局は、どうにもならなくなってしまった。
しかし日本の学者は、実用的で柔軟なやり方で、「文字本位制」の制限を受けずに、意訳の方法によって、数
多くの多音節の語彙を作り出し、みごとに西洋の概念を置き換えることに成功した。これによって、日本が西洋に
学び、「近代化」の道を歩んでいくうえで、言語の面で道路が舗装されたのだった。
もし日本が、漢字を借用して西洋の概念を置き換えることをしなかったら、現代の中国語はいったいどのように
なっていただろうか。おそらく今よりも寂しいものになっていたのではないだろうか。多分、強い刺激や栄養に
欠けているため、すばやく「近代化」することが難しくなったに違いない。
こうした角度から見れば、日本語の中国語への「恩返し」の功績を、われわれは決して忘れてはならないのである。