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▲昨年7月、中国西岸骨董市場で発見され現地学術誌に公開された百済人「祢軍」の墓誌銘拓本。
今日の日本の国号が本来、百済の土地を称する言葉であり、国号成立に百済人らが関与したと
いう学説が提起された。
7世紀の百済滅亡期、義慈王と唐に投降して官吏になった後、日本に使節として派遣された「祢軍
(禰軍)」(613~678)という人物の墓誌銘の文章に彫られた「日本」の文字が現在の日本の国号で
はなく百済の他の表現という根拠が見つかったという。この様な主張をしたのは日本古代史学界
権威である東野治之(とうの はるゆき)大阪市立大教授だ。
イ・ヨンヒョン国立春川博物館学芸士は今月出される韓国古代史学会学術誌<韓国古代史研究>
に載せた寄稿文で東野教授の新しい見解と現地の関連シンポジウム議論などを紹介した。この
文を見れば、東野教授は去る2月、日本岩波書店情報誌<図書>2月号の論告で昨年、中国学界
に拓本が報告された祢軍墓誌銘記録(884字)に見える‘日本’の文字が公式国号ではなく、羅唐
軍によって滅亡した百済の地を意味するという手がかりを捜し出したと明らかにした。
墓誌銘の「日本」は祢軍が日本に使節に行った背景を書いた部分に登場する。「660年官軍(唐
軍)が私たちの蕃国(百済)を平定した日…日本の残党が扶桑に立てこもって殺戮を免れ、風谷に
残った輩は盤桃を信じて堅く抵抗した…」という内容だ。
文中の「日本」を既存学界は公式国号と見たが、東野教授は「技巧を凝縮させた墓誌銘の文章と
見れば決して国号とは見られない」と否定した。墓誌銘に記録された当時、百済など中国の周辺
国は国号を使わず、扶桑・風谷・盤桃など自然環境的特徴に基づいた隠喩的名称を使ったが、唯
一、日本だけ公式国号を使ったはずがないという論旨だ。
墓誌銘の「日本」は中国から見る時「日が昇る所」という意味ですなわち百済を示すということだ。
彼は「墓誌銘で実際、倭国(日本)は‘ヘジュァ(海左:海東側)’、‘ヨンドン(瀛東:中国東側)と表記さ
れたと推定される」として「当時、国号が存在したとすれば書いた人は日本という表記を使わなか
っただろう」と主張した。
これについてイ・ヨンヒョン学芸士は「中国側から見れば、日本を意味する‘日が昇る東側の終わり’
に百済など韓半島が入るので国号成立の可否と関係なく呼ぶことができる」として「国号成立に百
済人が関与した可能性が大きい」と分析した。祢軍墓誌銘の‘日本’は昨年11月、日本現地新聞
などで最も長い国号の実物の発見として特筆大書された。しかし、百済起源説の登場で日本学界
では当惑感の中に論議が相次ぐものと見られる。
ノ・ヒョンソク記者
ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) 「日本は本来百済の土、称する言葉だった」
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★1の立った時間:2012/06/06(水) 23:54:17.51