【民団新聞】李明博大統領「在日韓国人の日本地方参政権獲得については、政府としても実現へ継続努力する」民団代表団との面談で[5/30]at NEWS4PLUS
【民団新聞】李明博大統領「在日韓国人の日本地方参政権獲得については、政府としても実現へ継続努力する」民団代表団との面談で[5/30] - 暇つぶし2ch478:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/06/11 16:37:27.84 m/0rTqbM
あの朝鮮進駐軍は朝鮮総連や民団の前身だった
忌々しい在日のタブー:▼戦後・在日暴力史 【朝鮮進駐軍から在日ヤクザまで!】▼
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戦後の裏面史を語る上で欠かせないのが「戦勝国民」として横暴の限りをつくした「三国人」こと在日朝鮮人だった。
その歴史の事実を決してメディアは報じない  地方コラムニスト・詠精作
 日帝三十五年と日本占領六年
何年か前かは忘れたが、TVの終戦特集番組に野坂昭如が登場し、こんな思い出話をしていたのが印象的だった。
戦後の食糧難の時代、十代だった自分(野坂)は、アメリカの食料支援物資である雑穀(乾燥したトウモロコシのカス
など)を食べて飢えをしのいだ。後年、アメリカに旅行したとき、向こうの農場で、自分が食べていたものとまったく同
じ雑穀を見た。それは豚の餌だった。それについて野坂がこう言ったのが印象的だった。
 「だけど、アメリカを恨んではいません。その豚の餌がなかったら、僕は生きていませんでしたから」
同じ頃、都市部の闇市では進駐軍払い下げの残飯で作ったシチューが一杯十円で飛ぶように売れていた。シチュー
の中から煙草の吸殻や噛んだあとのチューインガムが出てきたなどという話はザラで、ひどいときにはコンドームが
混じっていたこともあったという。しかし、誰も文句をいう者などいなかった。当時はそんな物でも生きるための大切な
栄養源だったのである。

アメリカの日本占領はおよそ六年八ケ月に及ぶ。日本の韓国併合はその約六倍の年月の三十五年である。韓国ではこれを
数えで「日帝三十六年」と呼び、「人類史上類例のない過酷な植民地支配」とあげつらう。しかし、併合時代、日本人が朝鮮人
に豚の餌を食べさせたことがあっただろうか。むしろ、戦後の混乱期、GHQの威を借りて「戦勝国民」を自称し、日本人を「四等
国民」呼ばわりして特権を貧り、闇市を支配して日本人に残飯を食わせ、私腹を肥やしていたのが他ならぬ在日朝鮮人なので
ある。

8・15から始まった、略奪、放火、強姦
全国各地で朝鮮人の暴動が始まったのは、昭和二十年八月十五日の玉音放送のわずか数時間後のことだという。
朝鮮人による略奪、暴行、放火、強姦が相次いだ。ただでさえ敗戦に打ちひしがれていた日本人に、これはさらなる
追い打ちをかける出来事だった。
日本人は炭鉱などで朝鮮人を酷使していたではないかと、彼らの行動を「報復」と見る向きもあるだろうが、それは違う。
出稼ぎ朝鮮人を哀れみ、家族のように親しく接していた雇い主ほど彼らの餌食になりやすかった。
年代はやや下って昭和二十六年になるが、神戸の洋品店夫妻が朝鮮人・孫斗八に金槌で撲殺され金品が奪われる
という残虐事件が起こっている。被害者の洋品店店主には何の落ち度もなく、むしろ、冬空に薄手のズボンに下駄履
き姿の孫を不欄に思い汁粉と酒を振る舞うなどの精一杯の人間的愛情を彼に傾けているのである。



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