12/05/29 02:59:57.08 td+1vExn
>>424の続き
事件はその直後に起こっている。朝鮮人にとって、自分に温情をかける=隙を見せることに他ならないのだろう。何千
年もの間、様々な国の属国として生きなければならなかった、彼らに身についた生存のための本能なのかもしれない。
次に朝鮮人は旧軍施設を襲い、食料や軍服、小銑などを奪った。盗んだ飛行服を着て「俺は特攻隊帰り」だと肩で風
切って歩く者もいた。いわゆる「特攻ぐずれ」というやつだ。彼らのおかげで太平洋に散華された特攻隊の名誉がどれ
だけ汚されたであろうか。
小銃で武装した一部朝鮮人は「朝鮮進駐軍」を名乗り、私設警察行為を働き、謀略の限りを尽くした。買出し列車を占
拠し、日本人乗客を蹴散らし、母子が身を剥ぐようにして着物と交換した命の糧のわずかな米までを奪い、それは彼らが牛耳る闇市で高
値で売られたのだ。
一方、警察は朝鮮人愚連隊にまったくの無力だった。当時、朝鮮人の横暴に対峙し街の治安を担っていたのは実は任
侠組織であった。のちの山口組三代目・田岡一雄が神戸で朝鮮人愚連隊と血の抗争を繰り広げていた話は有名である。
東京では新宿・尾津組の尾津喜之助がこれにあたる。テキ屋の大元締めであった尾津は所轄の警察から治安維持を
任され、現在の伊勢丹のある場所に闇市を開いた。尾津はここに配下の露天商を集め、朝鮮闇市商人が暴利をむさぼっ
ていた時期に、彼のマーケットだけは適性価格で物品を販売し、市民には感謝されていた。
日韓基本条約の影に韓国系ヤクザあり
後年、配下の岩田組と安藤昇率いる安藤組の小競り合いを無血で収めたのも尾津であった。安藤はもともと下北沢にシ
マを張る愚連隊で、同地の朝鮮人グループと対立していた。下北沢の朝鮮人勢力といえば、同地の大地主に収まり、小
田急線沿線に手広くパチンコ・チェーンやサウナを経営している南一族が有名である。
尾津のとりなしで新宿を撤退、渋谷に拠点を置いた安藤はここでも激しく朝鮮人と抗争を展開。安藤のトレードマーク(?
)でもある頬の傷は蔡という朝鮮人から受けたものであるともいわれている。
やや話が飛ぶが、昭和三十八年、安藤の懐刀だった花形敬が東声会組員によって刺殺される事件が起こる。この東声
会を率いたのが町井久之だ。町井は本名・鄭建永といい、大阪を拠点とする柳川組組長・柳川次郎(梁元錫)と並ぶ朝鮮ヤクザの大物である。