12/05/14 19:57:06.31
∞地震多発地帯 支え合う日本・台湾
東日本大震災を経て、日本の被災地と台湾の交流が活発になっている。震災後、台湾から被災地に寄せ
られた寄付金は200億円以上。地震多発地帯に位置する両地域の人々は今、互いに支え合っている。
東京都新宿区の雑居ビルの地下1階で先月、小さな震災写真展が開かれた。平野達男復興相や被災地
の首長らが駆けつけ、主催者に感謝の気持ちを伝えた。
写真展を開いたのは、被災地でボランティアを続けてきた台湾のNGO。メンバーの一人は「わざわざ復興
相が来てくれるなんて思わなかった」と涙ぐんだ。
台湾では震災直後、被災地を支援する機運が高まり、水や食料といった支援物資だけではなく、自治体
の職員が休むトレーラーハウス、消防車などを沿岸の自治体に贈った。
主催者の一人は「あの時、日本から受けた支援への感謝の気持ちを忘れていない」と話す。
1999年に台湾大地震が発生し、2400人を超す犠牲者が出た。阪神大震災の4年後だったこともあり、
日本からレスキュー隊や多くのボランティアが駆けつけた。
台湾のボランティア団体のメンバー陳金発さんは、台湾大地震の2日後に被害が激しい台湾中部の東勢
地区に入った。大半の家屋が倒壊し、遺体が路上に放置されていた。
その無数のがれきの中で「東京都」というユニホームを着たレスキュー隊員たちが危険を顧みずに生存
者の捜索に当たっていた。
「捜索も物資の運搬も、日本人が一番親身になって手伝ってくれた。苦しい時に支え合える。そういう
関係なんだと教えられた」
いつか日本に恩返しをしたい。陳さんは、東日本大震災の翌日、茨城県大洗町や岩手県陸前高田市で
炊き出しのボランティアに加わった。同じメンバー陳麗芬さんは「私たちは台湾で同じ経験をしている。今
がどれほどつらくて苦しいか、日本の被災者の気持ちが分かるんです」と言う。
■生きた経験とお茶文化
台湾は、日本と同じく、地震や津波の脅威にさらされている。原発もある。陳金発さんは「台湾で暮らし
ていると、今回の大震災をひとごととは思えない。必要なものや支援があれば、気兼ねしないで何でも
言ってほしい」と話している。
私は、3月まで南三陸町に駐在していた。被災地には、震災直後から中国や韓国、欧米諸国から多く
のボランティアが駆けつけたが、中でも活躍が目立ったのが台湾人だった。
彼らはバラバラに行動せず、まず先遣隊が被災地に入ってニーズを確認し、その後、団体で被災地入
りして、リーダーを中心に組織的に活動していた。
あるリーダーは「我々には99年(台湾大地震)の経験がある。被災者のために何をするのか。視察や
実績作りのために来ているのではない」と話していた。
台湾人の多くが片言の日本語でコミュニケーションを取れたことが、被災地の人々にとってはありがた
かったようだ。台湾の人々は「お茶を飲む」という共通の文化を通じて、素早く被災者の輪の中に溶け込
んでいた。
南三陸町で仮設住宅の自治会長を務める畠山扶美夫さんは「仮設住宅で台湾茶を頂いたり、こちら
から日本茶を差し出したり。昔からの友人のようで、心が軽くなりました」と話した。(三浦英之)
ソース:朝日新聞デジタル 2012年05月12日
URLリンク(mytown.asahi.com)
画像:集めた寄付金を被災者に手渡す台湾のNGOのメンバー(左)=岩手県大槌町、台湾仏教慈済慈善事業基金会提供
URLリンク(mytown.asahi.com)