【韓国】「Kコミック、新韓流を導く」~1970~80年代の漫画(マンファ)を語る[05/07]at NEWS4PLUS
【韓国】「Kコミック、新韓流を導く」~1970~80年代の漫画(マンファ)を語る[05/07] - 暇つぶし2ch1:HONEY MILKφ ★
12/05/07 11:56:35.56
(写真)
URLリンク(imgnews.naver.com)

1970年代、我々の漫画(マンファ)は残酷な試練のトンネルを通らなければならなかった。朴正煕(パク・
ジョンフィ)軍事政権の検閲と『新村(シンチョン)大統領』の合同文化社の独占、有害物と判断する社会的
認識などが漫画の健全な発展を妨げた。しかし酷寒の中でも春を呼ぶ芽は新芽を開かせていた。週刊誌
や新聞連載など、新たな突破口の基盤が用意され、子どもではなく大人のためのマンガ文化が本格的に
胎動していた。結局1980年代に入って子ども・成人・純情マンガ雑誌が押し寄せ、韓国漫画は今の『ルネ
サンス』を迎える事になる。
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「1970年代も検閲が酷かった。部分修正、全面修正、廃棄があって、無事通過は殆ど無かった。作家は
漫画を上手く描くより検閲を逃れる方法を研究する事に忙しかった。合同文化社体制も作家を締め付けた。
人気作家が気に入らなければ名前が似ている作家を作り、類似作品を描かせるケースも多かった。創作
分量を強制的に割り当てしたりもした。出版社が作り上げた幽霊作家の作品を代わりに描かなければ
ならない不思議な搾取構造があった」(キム・ヒョンベ)

■ マンガに加えられた軍事政権の焚書坑儒
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社会的に漫画が冷遇を受ける状況は1970年代にも大きく変わらなかった。子ども・青少年問題が起きる
度に漫画はいつも一番に袋叩きを受けた。毎年子どもの日には南山(ナムサン)や東大門(トンデムン)
運動場で不良漫画を集めて燃やす行事が行われた。 漫画関連で特に忘れられない事件は、1972年の
1月末に起きた『不良漫画波動(ウエーブ)』だった。ソウルのある小学6年生が事故で死亡する事件が
発生した。軍事政権とメディアは、「子どもが漫画本の内容を真似て死亡した」とし、ありえない場所に
集中砲火を浴びせた。特別取り締まりが開始され、警察は各所の漫画喫茶を急襲して数万冊の漫画本
を廃棄処分した。その年の10月、朴正煕大統領は維新を宣布した。

「教育界全体が漫画に敵意を持ったと言っても過言ではない。全く検証もされずに全ての問題が漫画
から始まっているという見方が広まった。しかし現在、30~40代の私のオールドファンの中で子どもの頃
に漫画を読んで誤ったという話は聞いた事が無い」(キム・ヒョンベ)

■ 新しいマンガの通路, 雑誌
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1960年代、漫画喫茶中心の文化は1970年代に入り大きな変化を迎える。まさに漫画雑誌の拡散だった。

この時期に子ども雑誌に掲載された漫画は以前と違って息が長くなった。1960年代の中・後半に創刊
された『新少年(セソニョン)』、『肩組み(オケドンム)』、『少年中央(ソニョンジュンアン)』などがその中心
だった。カラーページを取り入れてマンガのボリュームを大幅に増やしたのだ。特に肩組みは1972年、
史上初の別冊付録、『オバケの敢闘(シン・ムンス)』を挟んだ。本紙に連載した漫画は7ページ前後だっ
たが、オバケの敢闘は60ページにもなった。子ども雑誌の躍進は書店用の単行本漫画文庫の登場に
繋がった。代表的なのは新青年を発行していた語文閣の『クローバ文庫』だ。1972年から約12年間、
429冊が出版されて一時代を風靡した。 この中389冊が漫画だった。

ソース:NAVER/ソウル新聞(韓国語)
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>>2につづく


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