12/05/04 20:45:41.98
>>1の続き
高校卒業後には、父の知人がいた大阪市生野(いくの)区の塩化ビニールメーカーで長く勤務した。脱
サラし居酒屋などを経営したこともあるが、うまくいかなかった。
■なぜ日本の短歌で?
短歌を始めたのは、中学のときに担任の女性教師が作った「文学部」に入ったのがきっかけ。与謝野
晶子の「やわ肌の あつき血潮に…」の歌を教師に聞かされ、ドキドキしながら歌の魅力にひかれた。
大人になってからは新聞や雑誌への投稿などで入選し、50歳代で誘われて歌会に入会。本格的に
打ち込むようになった。
「韓国の詩歌ではなく、なぜ短歌を?」と聞かれることがあるが、わたしは日本の文化で育った。三十一
文字の短歌を表現手段とするのは、自分にとって当たり前のことだ。
◇
コリアタウンとして知られる大阪市生野(いくの)区在住の松田圭悟さん(71)=平成17年に日本に
帰化=が、旧名の「曺(=恵の心を日に)奎通(チョ・ギュトン)」の歌名で短歌とエッセーの本「在日の歌
知らざる故国 何ぞ恋しき」(中井書店)を出版した。掲載された歌を軸に在日の心と歴史を歌でたどる。
(終わり)