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第一次世界大戦後中国に21か条の要求を提出し大陸進出を進めていた
大日本帝国。これに反発する中国国民は五四運動を起こす。
日本国内では昭和金融恐慌が起こり財政的に苦しんでいた。
そうした国内の不満を大陸侵略で解決しようとしたのだった。
当時の田中義一内閣は政務次官の森恪が中心となり1927年
から1928年にかけて、3度にわたって中華民国山東省へ派兵した。
大陸支配のきっかけが欲しかった関東軍・河本大作大佐は1928年蒋介石
率いる中国国民党と対立していた張作霖を奉天近郊で爆殺。国民党の
仕業に見せかけた。1931年、奉天北方約7.5kmの柳条湖の南満州鉄道線路上で
爆発が起き、線路が破壊された。河本大佐の後任の関東軍高級参謀板垣征四郎
大佐と関東軍作戦参謀石原莞爾中佐が首謀しておこなわれた。
1932年3月1日、元首として清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀を
満洲国執政とする満洲国の建国を宣言した。首都には長春が選ばれ、
新京と命名された。1931年9月15日に斎藤内閣のもとで政府として
満洲国の独立を承認し、日満議定書を締結して満洲国の独立を
既成事実化していた日本は国際連盟の報告書に反発、松岡洋右を主席全権とする
代表団をジュネーヴで開かれた国際連盟総会に送り、満洲国建国の正当性を
訴えた。1937年7月7日に北京(北平)西南方向の盧溝橋で一発の銃声を
きっかけに日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件が起こった。
この事件は支那事変(日中戦争)の直接の導火線となった。
1937年から1945年までの間に、日本(大日本帝国)と
中華民国(蒋介石政権)との間で戦争は続いた。