12/04/29 21:24:58.10 6NHQBNle
>>6
バカいえ、江戸では鹿肉、ウサギ肉、熊肉、何でも食ってたよ。
朝鮮こそ、馬も牛も食ってないから、解体技術が全然なかった。
>ももんじ屋
ももんじ屋(ももんじや)またはももんじい屋とは、江戸時代の江戸近郊農村において、
農民が鉄砲などで捕獲した農害獣の猪や鹿を利根川を利用して江戸へ運び、
その他犬や猿、牛、馬など牛肉、馬肉等を肉食させたり、売っていた店のこと。
表向きは肉食忌避があったから、これらを「薬喰い」と呼んだ。
猪肉を山鯨(やまくじら)、鹿肉を紅葉(もみじ)などと称した。
江戸では両国広小路、あるいは麹町にあった店が有名であった。
獣肉を鍋物にしたり、鉄板で焼いたりし食べていたようで、
近代のすき焼きや桜鍋の源流と言える。
幕末には豚肉(猪肉)食が流行し、これを好んだ15代将軍・徳川慶喜は
「豚将軍」「豚一殿」とあだ名された。
これら肉食文化は明治初期の牛鍋の人気につながっていった。
江戸時代には尾のある獣や毛深い獣が嫌われてモモンジイと呼ばれたことから、
それらの肉を扱う店も「ももんじ屋」と呼ばれるようになったという説がある。
彦根藩では第3代藩主・井伊直澄のころ、反本丸(へいほんがん)と称して
全国で唯一牛肉の味噌漬けが作られており、滋養をつける薬として全国に出回り、
幕末まで幕府や他藩から要求が絶えなかったという。
これは近江牛が名産となるはしりとなった。