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【時論】暴力あふれる大韓民国
校内暴力は純朴な生徒が問題だらけの学校に通って突変するために生じるものではない。 校内暴力は韓国という社会で
出現せざるをえない現象だ。 民主主義は寛容性の程度で測定される。 この基準によると、韓国は民主主義が具現された
社会ではない。
韓国人は多様性をあまり認めない。 韓国社会はすべてのものを一つの基準で優劣を決め、序列をつける。 韓国人は相対的
優位でのみ決定される出世にこだわり、いかなる状況でも優劣を決める。 保護者によって学校は出世が左右される激戦地に
変わった。 親は子どもをしっかりと武装させて学校に送る。 学校で友人が消えて競争相手ばかり増える理由だ。
懐かしい思いで集まった同窓生も、お互いの過去、現在、未来を競い合って気取ったり、侮辱を感じる感情的な暗闘を繰り
広げた後、苦い思いで別れる。 友人の人生に対する理解や激励よりも、学生時代の席次、現在所有している自動車の
排気量とマンションの坪数、今後の出世見通しなどを比較して評価した後、ほとんどが劣等感を感じて帰宅する。
比較する項目には子どもも含まれる。 子どもについては直接尋ねないが、裏で資料を収集する。 子どもが名門大学に通う
親は、その事実を自動車やブランド品バックよりも強調する。
親は子どもが自分を上回る学歴を持っていながらも、自分の地位に及ばない現実に直面し、失望感を感じる。 こうした現象は、
韓国人の学歴が世界最高レベルに高まり、経済が先進国に迫る状況で、逆説的に表れている。 親の世代の韓国人は「小川
から竜が出る」神話を事実のように認識していて、教育出世論を宗教のように崇めている。
親は子どもが出世できないのではと心配し始めた。 このため子どもに有利な地位を先に獲得させようと焦っている。 校内暴力は
学校の段階や種類に関係なく、すべての学校で起きている。 生徒間の暴力は家庭と社会から抑えつけられたまま、暴力性を
抱いて登校した子どもたちが、何らかのきっかけでその暴力性を噴出した結果にすぎない。 社会から無視され、親から叱られ、
教師から追われるだけでなく、級友からも無視されれば、子どもたちは暴力を行使するようになる。
韓国人の期待は、短い期間にドラマのように経済を成長させ、政治を発展させる中で、限りなく膨らんだ。 過去には期待に相応
する現実の発展があった。 しかしもうこうした成長と発展の段階は過ぎてしまっている。 にもかかわらず、韓国人は期待が満たされ
ないことに憤怒し、自分だけが正常で他の人たちは非正常だと断定する。 自分とは違う他人のために韓国人は怒っている。 怒った
大人は、自分の子どもの頃に比べてはるかに豊かになった環境の中で育っても、期待通りにできない子どもを責める。 追い詰め
られた子どもたちが、その突破口を弱い子どもたちに探すが、その結果が校内暴力として表れる。
校内暴力は社会暴力が学校で表れた現象にすぎない。 校内暴力は社会暴力が根絶されない限り絶対になくならない。 子どもは
大人が生きていく姿を見て学ぶ。 暴力が蔓延した社会で、子どもが暴力から抜け出す可能性は全くない。 暴力社会では暴力が
随所で効率的に教えられ、学校は最適の実験室として利用されるだけだ。 私たちはこの事実を直視し、対策を講じる必要がある。
呉旭煥(オ・ウクファン)梨花女子大教育学科教授
中央日報/中央日報日本語版: 2012年04月24日15時40分
URLリンク(japanese.joins.com)
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