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【中央日報コラム】「私たちの世代に日本に追いつけるだろうか」…サムスンと日本電子業界の過去と現在[04/13] - 暇つぶし2ch1:依頼@水道水φ ★
12/04/13 20:32:49.86
∞【コラム】「私たちの世代に日本に追いつけるだろうか」

「日本はずっと先を進んでいた。私たちの世代には絶対に日本には追いつけないという絶望感を感じた」。

尹鍾龍(ユン・ジョンヨン)元サムスン電子副会長が2年前にこう語った。2年前にそう感じたということ
ではない。30年前の1969年の衝撃を回想しながら述べた言葉だ。入社4年目だった尹鍾龍氏は、
サムスン電子が設立されたその年、日本の三洋電機と松下電器(パナソニック)に行って研修を受けた。
とうてい追いつけないという絶望感が尹氏を襲った。この時から尹氏の関心は「どうすれば日本に追い
つけるのか」だった。

創業者の李秉喆(イ・ビョンチョル)会長が「日本から学ぶ」に総力を尽くした時期だった。後継者の
李健煕(イ・ゴンヒ)会長も最初はそうした。「妻と子どもを除いてすべてを変えなさい」という新経営宣言
も1993年6月に日本で始まった。言葉は「学ぶ」だが、実際は「コピー」だった。李秉喆会長の哲学から
して「模倣は創造の母」だった。開発初期の不足した資金や技術のほか、経営方式、教育・訓練プログ
ラムまでも日本からそのまま取り入れた。さらに国際政治など各種情報も日本が導入の窓口だった。
李会長は新年を迎えると日本に滞在し、そこで得た知識と情報をまとめた「東京構想」がサムスンのそ
の年の経営指針となった。

家電と半導体への進出も日本のためだった。三洋電機会長の勧めで1969年にサムスン電子が設立さ
れた。1983年の半導体進出も日本の半導体専門家から得た情報と知識の産物だった。資金と技術も日
本から入れた。家電は三洋電機およびNECとの共同で生産し、半導体はシャープの支援を受けた。当時
の最高は松下とソニーだったが、両社はサムスンを相手にしようとしなかった。「雉の代わりに鶏」という
心情でサムスンが選んだのが三洋とNECだったほど、ソニーと松下は格別だった。

2000年代初期までもそうだった。当時はサムスン電子が世界トップ5に入るテレビメーカーに成長した
が、ソニーは相変わらず難攻不落の世界トップだった。サムスンは小人、ソニーは巨人に例えられた。
規模も大きかったが、ソニーは革新と創意の代名詞でもあった。当時のソニーは現在のアップルのよう
な存在だった。1979年に登場したウォークマンは世界メディア機器の消費習慣を一挙に変えた最高の
ヒット作だった。

その日本電子業界がこの数年間、サムスンに対して完全に劣勢になっている。2006年にソニーを抜
いて初めてテレビで世界トップになったサムスン電子は、7年連続のその地位を守っている。日本との格
差はさらに広がっている。サムスン電子は09年、売上高100兆ウォン(約7兆円)、営業利益10兆ウォン
で世界最大の電子企業に成長した。しかしその年、松下・ソニー・東芝など日本の巨大電子企業9社の
利益をすべて合わせてもサムスンには及ばなかった。サムスンの師だった三洋電気は破産し、シャープ
は台湾企業に事実上買収された。ソニーとパナソニックも没落した。昨年の赤字がそれぞれ8兆ウォン、
11兆ウォンで、大規模なリストラ計画まで発表したほどだ。一方、サムスンは昨年、売上高165兆ウォン、
営業利益16兆ウォンと過去最高の実績となった。まさに桑田碧海だ。

>>2以降に続く

ソース:中央日報日本語版 2012年04月13日10時28分
URLリンク(japanese.joins.com)
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