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>>11
倭猿史
紀元前?年
周の時、天下太平にして、倭人来たりて暢草を献ず
紀元前1152年
成王の時、越裳は雉を献じ、倭人は暢草を貢ず
周の時は天下太平、越裳は白雉を献じ、倭人は鬯草を貢す。白雉を食し鬯草を服用するも、凶を除くあたわず。
57年 倭の奴国王、後漢に朝貢し、光武帝から印綬(「漢委奴國王印」)を授けられ
107年 安帝、永初元年(107年)倭国王帥升等、生口160人を献じ、請見を願う
239年 卑弥呼、魏の明帝への奉献を願う ( 親魏倭王の冊封を受けた)
266年 倭の女王、使いを西晋に送り、朝貢
413年 東晋?安帝に貢物を献ずる。
421年 宋に朝献し、武帝から除綬の詔をうける。安東大将軍.倭国王の冊封を受けた。(「使持節都督倭.百済.新羅.任那.秦韓.慕韓六国諸軍事.安東大将軍.倭国王」
425年 倭王の讃、宋に朝貢
443年 倭王の済、宋に朝貢
477年 倭王(わおう)の興(こう)没。弟の武が立つ。宋に朝貢。倭王の武を鎮東大将軍(征東将軍)に進号
600年 最初の遣隋使を送る
607年 小野妹子を隋に派遣
610年 遣隋使を送る
630年 第1回遣唐使には、630年(舒明2)犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)が遣わされた。
貞観5年、使いを遣わして方物を献ず。太宗、その道の遠きを矜(あわれ)み、所司に勅して、歳貢せしむることなからしむ。
太宗の貞観5年、使いを遣わして入貢す。帝、その遠きを矜(あわれ)み、有司に詔して、歳貢にかかわることなからしむ。
貞観5年(631年)に倭国は使者を派遣して、入貢し方物を献じたが、太宗は、倭国は遠い国であるから、毎年朝貢する必要はない、と担当の役所に命じた、という。
663年 日本.百済軍、新羅.唐軍に大敗(白村江の戦い)
894年 唐使は894年の廃止までに20回任命されている。その全部が唐に渡ったのではなくて16回である
907年 唐は滅亡し五代十国の分裂時代へ
1329年 懐良親王 中国の皇帝(建国直後の明の洪武帝)にお願いして、「日本国王」の称号までもらってしまった
1358年~1408年 室町幕府3代将軍の足利義満が明朝に対して使節を派遣して「日本国王」に冊封される これに対して永楽帝は「日本国王之印」を授けている
これが歴史的に正しい大中華と小日本の関係www (上下関係)