12/03/23 09:05:45.59 srzbeKIF
>>339
沙也可は雑賀衆という説が有力。
雑賀衆は紀ノ川下流域に拡がる一帯に勢力圏を持っていた。
戦国末期に織田信長の天下統一事業に抵抗したが、降伏を余儀なくされ、
信長を継いだ豊臣秀吉により九州肥後の阿蘇地方に移封させられた。
一族は秀吉の命令で肥後の加藤清正とともに朝鮮に出兵したが、
わけあって朝鮮側に寝返った。蔚山城に立てこもる清正は朝鮮-明の
連合軍に包囲され、降伏も余儀なしとしていたが、雑賀衆は夜陰に乗じて
清正を東方の海岸まで脱出させるとともに、阿蘇地方で留守を守る
妻子一族の保護を託した。慶尚北道のウロンリ地区に日本風の集落があり、
日本人武将の子孫が在住すると伝承されている。
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