12/03/13 23:33:50.13
日本がシベリア利権でロシアと争ったりする。当時のソビエトですけど。そのときに、中国を
叩いておかないと、はさみうちになってとんでもないことになるのではないかと恐れたりする
のだけれど。普仏戦争とか普墺戦争の歴史とか知っていれば、どちらが勝つかわからない戦争
において、中国がどちらかの味方をするということは普通ありえないんですよね。
そういう専守の知識もないままに、デタラメな理由で、南京やほかの都市に入って、国民党軍
を叩こうとするわけです。日本はとても強かったから、国民党軍の人たちは服を脱いで、脱い
だ服がいろんなとこに散らばっていた。なかには、逃げた人もいれば、ゲリラ活動をするいわ
ゆる便衣兵と呼ばれる人もいたでしょう。その比率はよくわかりませんが。そういうこともあ
って、無差別に人を殺したという事実はあるわけですよ。
数の悲惨さということとは別に、戦争としてデタラメなことをやっていた日本軍、デタラメに
よって多くの被害をあたえたということについては、意識すべきでしょう。つまり、ぼくは、
恥だと思うね。当時の帝国陸軍のデタラメはね。
それは、原発問題に関するデタラメと全く同じで、基本的に当事者能力のない人たちが、なん
とかに刃物ではないけれど、原発を運営していた。当時の日本軍も、よく似てるんですよ。そ
うした問題を恥だと思わないで、数が多いだの少ないだの言っている河村さんって、いったい
何なんだよこれ」
つづいて、作家の渡辺淳一さん。渡辺さんは週刊新潮に「あとの祭り」というコラムを連載し
ているが、3月15日号のコラムタイトルは「南京虐殺に思う」であった。以下、内容を抜粋す
る。まず、叔父さんから聞いた話を元に、日本軍が入城した南京市内の様子を語る。
「それにしても、当時の南京市内の様子を想像すると、身の毛もよだつ。
その時、勝ち誇った日本軍は南京市内に入城した。
こう書くと、『粛々と隊伍を組んで』、と思いたいところだが、その実、将校も兵隊も食うや
食わずで、ようやく南京に到着して、一気に解放されたのだろう。
そこで彼等がやらかしたことは、略奪と暴行。
日本軍は、そんなに統率がとれていない野蛮な軍隊だったのか、と悲しくなるが、かつて、中
国を転戦していた親戚の叔父さんにきいた話では、街に入ると、それに近いことはやっていた、
とのこと」
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