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ソ・サンヒョク君は今春高校生になった。3・11東日本大地震が発生して9カ月を何日か先に控え
た昨年12月初め、日本の取材現場で偶然にその名前を聞いた。東北3県の中で最も犠牲者が多
かった宮城県、その中でも住民の約3%に該当する1116人が死亡・行方不明になり、全家屋の
60%が津波で破壊された東松島市からだ。
佐藤伸寿市長の助けを受けて市のあちこちを取材した。取材を終える頃、佐藤氏は個人的な要
請が一つあるといった。5年前、自分の家にホームステイにきたある韓国少年を探せるかというこ
とだった。3・11以後、一度電話を受けたことはあるが連絡先まで聞けなかったというのだ。連絡先
を書き留めた手帳はすでに津波がさらって行ってしまっている。
2006年、当時小学校4学年だったサンヒョク君はボーイスカウト交換プログラムで1週間佐藤氏
の家に滞在し、続けて佐藤氏の息子が同じようにソウルのサンヒョク君の家に泊まったという。互
いに韓国語・日本語が分からない手探りで英語でコミュニケーションするサンヒョク君は佐藤氏を
‘ファーザー(father)’と呼んでなついた。
(中略:韓国でサンヒョク君探しと交流)
先月ソウルで開かれた東日本大地震1周年関連国際セミナーで吉田健一共同通信ソウル支局長
は大地震発生直後、韓国の日本に対する熱い関心と支援努力についてこのように論評した。
「韓国人は日本に対する愛憎(love & hate)が交差する中で、‘ラブ’が‘ヘイト’を初めて圧倒したよ
うに見えた。」だが‘愛憎関係’‘近くて遠い国’等のイメージから脱することは容易ではなく見える。
日本の市民社会は日本現代史を地震以前と以後に区分する程3・11を人類史的意味と規定して
日本社会の新しいビジョンを待ちこがれている。ところがどうしたことか日本のあちこちに表示され
ている「ガンバレ・ニッポン・東北・福島」等のプラカードには突然、日の丸(日章旗)が割り込む。
東松島市でも同じだ。この写真はそちらの住民たちのジャンパー後方についたスローガンを撮っ
たもので、「HOPE」の「O」を日の丸に変えてその中に市の地図を入れている(写真)。1995年1月
6300人余りが犠牲になった阪神大地震の時も日章旗は登場しなかった。それだけ3・11は途方も
ない事態ということであろうか。
近世以後、国家的困難が近づくたびに天皇を中心に日章旗の下一つになってきた日本の退行的
ナショナリズムの伝統がまたうごめくのではないかと憂慮される。サンヒョク君の純粋さと3・11以
後、日本ナショナリズムの動向が対比される大きな課題に違いない。
チョ・ヨンレ
ソース:国民日報クッキーニュース(韓国語) 3・11東日本大地震以後日本ナショナリズム高まるか
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