12/03/01 22:54:33.41
アンカー:日帝強制支配期、日本は私たち民族の魂を抹殺するために創氏の概念を強圧しました。
ですが、当時、忠北報恩郡に日帝のあらゆる弾圧の中でも住民全体が創氏改名を拒否した村が
ありました。遅まきながらこの村に追悼碑が立てられました。チョン・ジェヨン記者が取材しました。
記者:日帝の韓民族抹殺政策が頂点に達した1940年。忠北報恩(ポウン)の集成村であるシンゲ
ウル村にも姓と名前を日本式に変えろとの創氏改名の強要と弾圧が始まりました。先祖の墓が破
壊され、強制徴集優先差し出し、食糧配給中断まであらゆる逼迫に苦しめられたが、住民119人
全員が最後まで強圧に耐え抜きました。当時9才だったリュ・フンニョルおじいさんは国民学校の
同級生76人の中で唯一、姓と名前を守りました。
インタビュー:リュ・フンニョル(81)/創氏改名拒否生存者:「我が国は本貫が氏族文化の根源です
ね。創氏改名しろといいますか?」
リュおじいさん家族らは創氏改名を強要しなかったという日本の妄言を契機に戸籍部や学籍簿の
ような根拠資料を集め始め、これを土台に郡庁ではこの村に追悼碑と歴史テーマ公園まで作りま
した。
インタビュー:リュ・チョンリョル/当時の強制徴集者子孫:「私たちの町内の子供だけでなく大韓民
国の子供はみんなきてみて...」
慰安婦問題と日本の独島(ドクト、日本名:竹島)妄言が相変わらずの今、八十を越えたリュおじい
さんに残った念願は一つです。
インタビュー:リュ・フンニョル(81)/創氏改名拒否生存者:「子孫たちはこれを忘れてはいけません。
また、忘れることもできないでしょう。なのでこれを心に大事に保管して...」
MBCニュース、チョン・ジェヨンでした。
ソース:MBCニュース(韓国語) 日帝強制支配期全住民創氏改名拒否の村に'追悼碑'
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