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∞南京大虐殺生存者の叫び 「私達が証人だ」
河村たかし名古屋市長が20日、南京市代表団と会談した際に「南京(大虐殺)事件はなかったので
はないか」と発言したことを受け、南京大虐殺の生存者が21日に取材に答え、「私達が証人だ」と
怒りを込めて語った。中国新聞網が報じた。
南京防衛戦に参加した経験を持つ兵士のうち、今も存命している人はわずか3人だ。その中の1人、
李高山氏(88)は南京防衛戦に参加した兵士であり、南京大虐殺の生存者でもある。
李高山氏は高齢で耳は遠いものの、名古屋市長の言葉を聞くと「名古屋市長は事実を歪曲してい
る。私は死体の山の中から這って出てきたんだ。これこそが証拠であり、私達は証人だ」と怒りを込
めて語った。
「今日ニュースを見て、とても憤慨している」。南京大虐殺の生存者、シャ子清氏(79)は記者にこう
語った。「名古屋市長の言葉は完全なるでたらめだ。南京大虐殺は世界的にも認められている。
生存者の李秀英氏は亡くなる前に『恨みではなく、歴史を記憶しよう』と語った。我々は彼女の言葉
を胸に刻まなければならない」。
1937年の南京大虐殺から74年が経ち、生存者も皆高齢者となった。侵華日軍南京大虐殺遇難同胞
記念館の統計によると、南京大虐殺で生き残った人のうち、今も存命している人は237人であり、歴史
の「生き証人」は今後10年以内にいなくなってしまう可能性がある。現在各方面は生存者の情報を
募集している。
平均年齢80歳を超える生存者たちは、世界各地を訪れて各種の平和集会に参加し、自らの経験を
語り、歴史を証言している。
李高山氏は1980年代、大阪で証言報告をしたことがあるほか、昨年12月には香港で南京大虐殺の
歴史を語ったという。シャ子清氏は8年前から侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館でボランティアと
して働いている。「毎週金曜日に記念館で当番に当たり、見学に来た学生たちに歴史と自分の体験
を語っています。2004年から働き始めて、もう8年目になります。記念館側も私の体調を考慮してくれ、
これまでは週6日でしたが、現在は週1日の当番となりました」。
李高山氏 略歴:
南京陥落後、日本軍は李高山氏を含む数百人の兵士を捕虜とし、八字山公館に閉じ込めた。日本軍
は窓から室内に向かって機関銃で猛射し、ほとんどの人はその場で殺されたが、李氏は背が低かっ
たために奇跡的に生き延びた。その後、建物の屋上に隠れ、飲まず食わずで数日を過ごしたが、向
かいにいた日本兵に発見されて拘束され、近くの池で殺されそうになった。しかし、李氏は年が若く、
背が低かったため、他の5人は銃殺されたが1人だけ九死に一生を得た。李氏は日本軍に連行され、
数十日間肉体労働をさせられたが、その後生還した。
シャ子清氏 略歴:
南京大虐殺発生時、シャ子清氏はわずか5歳だった。当時、父親は運よく長江以北に逃げ延び無事
だったが、家に残っていた母親は日本軍に惨殺された。子供たちは米国大使館に逃げ込んだ。ある
時、日本兵に捕まり、拳銃で頭を殴られ顔中血だらけになったが、大使館の人に助けられ、生き延び
ることができた。
「人民網日本語版」2012年2月22日
ソース:チャイナネット 2012-02-22 16:41:13
URLリンク(japanese.china.org.cn)