12/02/18 07:55:41.94 OgYN0tvi
日本海呼称騒動の流れ
・1991年、南北朝鮮の国連加盟に伴って両国が「東海」「朝鮮海」をそれぞれ主張したのが始まり
1988年のソウル五輪で旧共産圏諸国は、北朝鮮から得ていた韓国の情報との違いに騒然となる。
コレを機に旧共産圏からの支持を大幅に減らした北朝鮮は、
続く1989年のベルリンの壁崩壊を目の当たりにし、国家存亡に対し「朝鮮民族主義」を標榜する。
南北揃っての国連加盟に伴い、「民族主義」を韓国に工作開始、時の韓国大統領は盧泰愚。
金大中ほどあからさまではなかったが、親北反日思考を持っていた盧泰愚を懐柔、
386世代の支持をとりつけ、韓国内に北朝鮮主導の「民族主義」拡散が始まる。
・実際に公式の場で「東海」「朝鮮海」と言い出したのは1992年の国連地名標準化会議。
南北合同の「民族主義」見地から主張するため、「『日本海』は日帝残滓」と主張。
そのため西海(黄海)、南海(東シナ海)の呼称変更は海外に対して主張されない。
・1993年、北朝鮮核疑惑。
国際社会から総スカンを食らった北朝鮮は「朝鮮海」の主張を弱め、もっぱら韓国の「東海」を支持する立場をとるようになる。
変わって韓国が反日感情をネタに「民族主義」を喚起、「独島」と絡め、
「わが領土・独島の浮かぶ東海」という「東海アジテーション」を強烈に流布しはじめる。
・2004年3月の段階で、国連は「日本海」を公式文書に使用することを確認。
・国連地名標準化会議はほぼ5年おきに行われており、1992、1998、2002、2007年まで南北朝鮮は連続で問題提起。
なお、2006年の頃から、北朝鮮の対南工作の成果か、
韓国内においても「『東海』では日本に勝てないから『朝鮮海』で主張すべき」という意見が出始め、
時同じく北朝鮮も「朝鮮海」の明確な主張を復活させ始める。