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(ソウル=聯合ニュース)日本が本格的に軍国主義に走りだす直前、民主主義が「瞬間的に」花を咲
かせた時期がある。いわゆる「大正デモクラシー」と呼ばれる民主主義改革運動時代だ。
露日戦争が終わった1905年から1925年まで20年間余り、日本では政治、社会、文化など各方
面にかけて民主主義改革運動が活発に展開した。新刊「大正デモクラシー」は露日戦争後の日本
で明らかになった民主主義傾向の「大正デモクラシー」を深層分析した研究書だ。
著者の松尾尊兊(マツオ タカヨシ)京大名誉教授は各方面に明らかになった民主主義改革運動
の展開過程を調べその限界点を考察する。同書は合計3部で構成され1部では明治晩年に明ら
かになった大正デモクラシーの初期様相を調べる。2部では大正デモクラシーを代表する自由主
義知識人、吉野作造(ヨシノ サクゾウ)が唱えた民本主義の成立基盤を考察し3部では大正デモ
クラシーが本格的に花を咲かせた第一次世界大戦以後明らかになった問題点に光を当てる。
「第3帝国」という雑誌にのせられた朝鮮青年たちの文も目を引く。3.1運動被告の弁護活動をした
キム・ウヨン弁護士と独立活動家チャン・ドクス先生は日本当局の武断統治と不平等に抗議する
文を雑誌(1914年2月1日付)に投書した。特にチャン・ドクス先生は「ああ、私には革命権があ
る!誰かを弱いという。剣がないということか?大砲がないということか?軍艦がないということ
か?このようなものなどの欠乏をいうことだったのか?そうだ、朝鮮人はこのようなものなどを全く
持っていない。ところが朝鮮人は唯一強力な武器を持っている。死と信仰だ。'自由でなければ死
を」と叫んで朝鮮と日本2つの民族の関係は自由人同士対等でなければならないと力説した。
だが、当時、大正デモクラシーを主導した日本の知識人たちの朝鮮に対する認識は朝鮮知識人
を失望させた。さらに民本主義者の吉野作造も「政治上、特に対外関係上、政治的自立を許容で
きない場合もある」として朝鮮の独立を直ちに承認できないという態度を見せるなど認識の限界を
表わした。
重い主題の研究論文集だが軍国主義に走る直前の日本の政治社会像、日帝強制支配期の朝鮮
青年たちの姿などをのぞくことができて興味深く読める。
360ページ.2万2千ウォン.
ファン・ユンジョン記者
ソース:聯合ニュース(韓国語) <軍国主義に駆け上がる直前日本を解剖する>
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