【歴史】魏に朝貢したのは、遼東・朝鮮を支配する公孫氏が滅ぼされた翌年だった…「三国志」を冷静に見つめた卑弥呼の国家戦略[1/28]at NEWS4PLUS
【歴史】魏に朝貢したのは、遼東・朝鮮を支配する公孫氏が滅ぼされた翌年だった…「三国志」を冷静に見つめた卑弥呼の国家戦略[1/28] - 暇つぶし2ch100:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 14:51:15.83 miE4Sd34
スレ立てた奴にレスしてる馬鹿消えろ

101:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 14:52:19.09 HYtZ/0t0
>>96
だから言ってるだろ 小説を信じるなって

大半の日本人が歴史作品だと信じ込んでるNHKの大河ドラマも
単なる歴史風物語だし・・・


102:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 14:52:54.27 dJ2FgKKD
>>84
ことによっちゃーその染み付きパンティすら貰うことなく
突然攻め込まれて滅亡させられる小国だってあったわけだから
あらゆるものを貢いででも殺されたくない小国がいて当たり前でしょ。

命には代えられんってわけですよ。

103:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 14:54:45.11 HYtZ/0t0
>>92
1000年ぐらい前までは、流民ってのはむしろ通常の出来事だったわけで。

104:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 14:59:23.35 /4WT0alJ
何が現在に通じるだよ
ヒミコは国益考えてるけど現在のは国益度外視
能力の差は歴然
今の日本のような国力の無かった古代の外交がどれほど大変だったか

105:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:00:39.52 HYtZ/0t0
>>97

お前は相手を否定しようと必死だから、言葉の意味が分かっていない。

印綬ってのは、
中国特有の内向き外交手法なんだよ。
わかる?

印綬ってのは、元来、外向きじゃなくて、内向きなの。

中華【これ、どうぞ
他国【おーありがとう これなに?
中華【玉でできた印鑑をプレゼントしますよ!
他国【あーそう?なんて書いてあるの?
中華【貴方はソコの王様です!って意味ですよ
他国【あーそうか^ー^ありがとうありがとう
中華【はい!色々珍しいものをいただくお礼ですよ^ー^
他国【わかった また珍しいもの贈るわ!

中華【フヒヒ お前らな? あそこの国は オレが認めた王様なんだぞ?
配下【マジすか?
中華【そうよ?オレが王様だよーって印鑑作ってやったから 王様なんだぜ?
配下【すげぇ・・・

これが中華の印綬文化
ちなみに、現代では、中国が天皇に印鑑渡そうとして拒否されてますwwwwwwwwwww

106:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:00:56.33 jl1gTxBp
>>88
魏は、匈奴、鮮卑、羌を屯田させていたけどね(五胡十六国の遠因)

107:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:01:12.68 iLVRO4BK
そもそも卑弥呼って権力あったの
まだ科学がないから宗教的シンボルとして部族を纏め上げるためのアイドルだったんじゃねーの
で、実権は周辺のおっさん

108:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:03:16.99 HYtZ/0t0
>>107
ヤマトのヒメミコの権力は、現代の天皇レベルかソレ以上だね。

今の天皇の祖先で 祭祀を仕切る現人神 つまり天皇だった


109:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:04:46.50 LS5lwrhm
たまたまだろうな

110:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:05:56.88 McEtzll4
>>103

1000年前どころか最近の朝鮮戦争当時に大量の流民が日本に流れ込んでるw

111:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:06:28.39 HYtZ/0t0
そもそも朝貢なんてしてなくて単なる交易。

それを、朝貢しに来たよー!って言い出しただけ。

112:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:07:20.56 HYtZ/0t0
>>110
いや これから北朝鮮動乱が起こったら 1000万単位で来ると思うから
朝鮮戦争当時の流民については、大量とは言えないけど


113:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:07:53.69 2poplF6g
>>105

印鑑には金製、銀製、銅製があってね、朝鮮には陶製だったってw


114:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:09:14.38 LS5lwrhm
>>113
自分でつくったんじゃねーの?

115:ロマーニョ・グッチ・サンパイオ佐々木 ◆hXiku7st1kkc
12/01/28 15:10:12.97 /Xk65uCO
日本は中国の属国だった事実。

韓国は9000年自主独立国だったが

116:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:11:15.25 YtR6muYR
>>98
呉から九州って東京福岡ぐらいの距離あるけど
当時の船技術で数千数万単位の人間拉致とか出来んだろ
朝鮮経由じゃないとまず無理だわ

117:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:11:46.27 2poplF6g

s korea の事を韓国と言うのかいw



118:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:14:11.44 N2mtY+lv
>>10
都合の悪いことは書き込めないアメノウズメ塾って韓国人がやってるの?

119:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:14:24.46 slSP6Ylg
>>116
だから公孫氏と連携を模索したわけか

120:卍
12/01/28 15:15:08.51 kTjlHP+w
邪馬台国は北九州でしょう?奴こくが九州なのは確実です。隣国ですので
九州でしょう。

121:諸君、ていうかお前ら!? φ ★
12/01/28 15:15:36.40
>>116
そうだよ。だから陸ソンが反対して頓挫したと言ってるだろうw 
もっと後の時代の遣唐使ですら、海を渡れなかった人はいっぱいいるわけで、実はかなりの難コースなのだ。

逆に言えば、そんな荒唐無稽なことすら考えざるをえないほどに、呉の人口危機って大きかったのだよ。
実際に台湾には出兵してるのだ。まぁ、それで全然費用対効果に見合わなかったのだけど。

122:諸君、ていうかお前ら!? φ ★
12/01/28 15:17:34.87
>>119
いやそれは単に「敵の敵は味方」ってだけだと思うけどw

まぁもっとも、公孫淵はその後呉の使者の首を切って魏に投降したりとかしてたから、いざ攻められた時には呉は全く助けなかったが。

123:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:18:04.62 FUjNtYjR
凄い基地外が一人湧いてるwww

124:卍
12/01/28 15:19:24.40 kTjlHP+w
鑑真和尚は3回目に日本に到達。遣唐使は神風攻撃隊でした。

125:伊58 ◆AOfDTU.apk
12/01/28 15:20:45.47 HSLVW/Fe
>>121
> 逆に言えば、そんな荒唐無稽なことすら考えざるをえないほどに、呉の人口危機って大きかったのだよ。

統計上の数字を見る限りは、三国志前後で大きく人口が激減しているのは事実ですからねえ。
統計漏れもあるだろうが、安禄山の乱の時のように農民をひっつかまえて食っていた可能性もある。

126:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:20:58.60 0Lnyp/JO
穢便器がまだシベリアにいた頃の話だな

127:ホロン部員 ◆t/GUd7ef.2
12/01/28 15:22:33.17 FlwZbp2O BE:39795252-2BP(2111)
>女王・卑弥呼(ひみこ)が君臨した邪馬台国の最有力候補地

いつから最有力に????

128:諸君、ていうかお前ら!? φ ★
12/01/28 15:24:04.23
ちなみに、呉が海を渡って夷州(いしゅう)と亶州(たんしゅう)に兵を出したのが230年。
で、夷州には辿り着いたが、亶州には辿り着けなかった。

夷州は台湾を指し、亶州は沖縄とも日本とも言われている。

>>1の公孫氏が滅ぼされたのが238年で、倭が魏に朝貢したのが239年。

こうやって見ると、魏・呉・倭のそれぞれの出来事は、密接に関連性があるんではないかなと思ったりしてね。

129:稗田朝臣無礼
12/01/28 15:27:27.76 oyFMKF9q
>>111
現実には日本の朝貢貿易というのはそういうもの。
中国王朝には対等外交というものはないので、
册封を受けた王にその貿易を認めるというもの。
ただし、中国皇帝は諸国の王に対してその貢ぎ物の何十倍もの下賜品を賜ったので、
実利的には多大なものがあった。
朝鮮などの周辺国は册封を受けなければ攻撃される危険が大きかったが、
日本にとっては元寇を唯一の例外として、(それでさえ局地戦でしかなかったが)
中国の実質的な脅威は存在しなかったので、
実利的に見ればおいしい交易であったことは間違いない。




130:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:28:38.26 MrTYuWhv
和服のことを「呉服」、つまり「呉」の服って言うよね?

つまり、そういうことだ。呉の人間が渡ってきて、日本を侵略し、そして
着ていたのが「呉服」=「和服」

広島県の呉市は、呉からやってきた人間が住み着き、呉という氏を名乗った
のがもともとの由来。だから、ここで遣唐使船も作ったし、後に造船・海軍の
街となった。

131:諸君、ていうかお前ら!? φ ★
12/01/28 15:28:47.89
あと、公孫氏を滅ぼした後、244年には高句麗の首都も魏のカン丘倹によって落とされた。
(高句麗王には逃げられて、滅ぼすことはできなかった)

これも、倭との朝貢が成立した事と多少関係はあるのではないか?とも思うわけ。
そう考えていくと、歴史というのが重層的に理解できるようになりおもしろくなる。

132:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:28:51.65 jl1gTxBp
>>125
中国の人口は、戸籍人口だから、
三国時代は、王権が弱く戸籍に載ってない人口が多かったと
考えるのが妥当かも。

特に、名士・豪族の庇護下にあった農民は戸籍に載っていなかった可能性がある。

益州に関しては戦乱・飢饉がほとんど起きてないのに 720万→100万 なのよ。

後、屯田戸は戸籍人口に載って居らず、晋代に屯田戸を
通常戸に移したとき、人口が倍になったとか。

133:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:29:45.03 /4WT0alJ
>>113
えっ?
朝鮮は銅だよ。時期によって違うのか?ちなみに属国の中での序列は一番下だった。
琉球は銀。
倭は金にもう一つ格が付いたやつだった。

134:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:30:05.91 OhQhDodj
>>105
バカだねぇ。
この印綬は文書の封泥に使って文書が本物であることの証明とするんだよ。
外藩ならその印綬がなければ外交文書のやりとりができないんだ。
中国や楽浪郡治と見られる場所からは実際に封泥がたくさん出土しているよ。


135:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:31:22.62 Ww2P4IEJ
>>130
当時一般的だった貫頭衣に対して、輸入品の呉服ってだけ

136:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:31:51.64 OhQhDodj
印綬じゃないな。綬は紐だからないと困るのは印。

137:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:32:02.83 MrTYuWhv
倭寇ってのがあるが、あれはなんで朝鮮南部やら中国の沿岸部にまで
進出していたと思う?

つまり、これが「倭」の勢力圏だったわけ

白村江で百済がどうこうって言ってるが、陸ではなく、対馬海峡(朝鮮海峡)
及び、東シナ海を支配していた民族がいたわけ。これが倭国。それが
白村江で大敗北し、滅亡した。そこで取って代わったのがヤマト。

でも、倭寇っていうか、海賊とも言われたが、後の鄭成功の時代までずっと
この海を支配していた。鄭成功が父が中国人、母は日本人と言われるが、
実際には、中国にいた倭人と、日本にいた倭人との息子ってなだけ。

138:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:32:30.03 P3kczpHr
>>133
倭の奴国でそ>金印

139:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:32:37.68 zKjXVZYj
>>127 2009年から

140:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:33:06.34 /4WT0alJ
>>124
神風とは意味が違うよ。
むしろ幕末の欧州使節団にあたる。

141:卍
12/01/28 15:36:25.14 kTjlHP+w
死して屍拾う者なしですが、DVD
kuukaiでも見たら。ああそうそう、散髪にいこうとしましたら
アラームです。

142:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:36:52.89 k1X/N1zA
じゃま大国って日本らしいネーミングだな
過去の中国人のギャグセンスには感心するよ

143:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:37:49.45 HYtZ/0t0
もしかして、
漢の奴の倭の国王の金印が、
偽物だってこと知らない人、
いるの?wwwwwwwwwwwwwwww

今時いるのwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

144:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:37:49.95 /4WT0alJ
>>138
ヒミコは金印紫綬だけどされより昔の漢委奴国王印は金印ということみたい。
違いはあるのか?

145:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:39:02.43 9e8Umbs+
>>130
論理破綻。
呉の人間がやってきて、①完全に和服を駆逐したなら「呉」服とは呼ばない。
「服」で十分だから。②和服と呉服が共存するなら和服に対する呉服の概念が
あるわけで、両者は異なるもの。

146:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:39:05.35 al5wdGiV
>>103
BC3,4世紀の春秋戦国時代から流民なんて普通にあったし
20年ほど前も日本にくるボートピープルが問題になっていた

147:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:39:19.19 bp7B+3Xo
>>73
倭は中国に豪勢な朝貢品を持っていってるぞ。
白珠3000だったか。真珠の事だろうけど、養殖が出来てなかった当時、大変な数だったはず。

148:稗田朝臣無礼
12/01/28 15:41:12.37 oyFMKF9q
>>135
>呉服
というのは呉製の絹織物という意味。
古来高級品とされた。それが和服に転用されただけ。
ちなみに、服部半蔵の「はっとり」姓は呉から招いた職人の一人。
呉服部、くれはとりべ、から来ている。
ただ半蔵の系譜図では秦氏の流れになっているようだが。
秦氏についても諸説あるけれども、
乱を逃れて朝鮮半島に移り住んだ中国系の集団であるというのがほぼ定説になりつつある。


149:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:41:58.23 9e8Umbs+
>>137
白村江の戦いは大化の改新以降で、戦争の主体は畿内の中央政府ですが。
歴板の人が見たらひっくり返るぞ。

150:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:42:40.09 HYtZ/0t0
呉服→呉の服wwwwwwwwww

だったら、
南蛮人は、背が高くて、肌が白くて、目が青くて、神の黄色い、
東南アジア人だったんですねwwwwwww


151:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:43:25.22 2poplF6g
>>147
貝塚ができるくらいよく食べてた、きれいなごみ程度かもw

152:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:43:32.93 OhQhDodj
>>144
紫綬は印をぶら下げる紫の紐。
漢王朝の制度では金印には紫綬と決まってるから,
金印とあっても紫綬だったろうと言われている。


153:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:44:23.57 RYtQPX9Y
昔は朝鮮や琉球(沖縄)、大理(雲南)西夏(寧夏)ネパール、ビルマ、ブータン、安南(ベトナム)西域(中央アジア.ウイグル) などは、中国の属国だ

154:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:44:59.09 HYtZ/0t0
>>152
いつまで金印の話してんだ

江戸時代の国学者が発注した金色の印鑑のことだろ?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ばーかwwwwww

155:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:45:02.05 iIt2KZuB
当時開発された魏呉ナビが未だに使われているのは流石日本ですね

156:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:45:10.00 Ww2P4IEJ
>>147
現物を見たこと無いから仮想だけど、粒が小さなものならアワビからも稀に取れるし
そちらは食用(神事にも使用)として頻繁にとっていたから、結構流通してたかも

157:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:46:08.74 bp7B+3Xo
>>151
真珠がそんなレベルのハズがないだろう。

>>149
近畿政府が白村江の戦いに参加したという証拠は亡かったような気がする。

158:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:46:37.32 /4WT0alJ
>>141
神風は死ぬこと前提の手段で国を守るという行為でしょ。
遣唐使は生きて返ってくることが任務。
遣唐使や鑑真の行為は死もを覚悟した危険な行為だったのは同意。実際帰って来れなかったこともあったし。


159:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:48:21.19 HYtZ/0t0
>>158

神風  → 神の起こす奇跡
神風特攻→ 命がけの特攻
遣唐使 → 命がけの渡航

お前は国語能力が低い
ソレじゃコミュニケーションできないだろ

160:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:48:27.14 bp7B+3Xo
>>1
そんなものなら、わざわざ贈り物にしないし、養殖技術を開発する必要も無い。
貝の中に入って他のを見つけたことあるのか?

161:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:49:31.63 HYtZ/0t0
>>160
いや、真珠は天然物あるし。
貝殻や珊瑚は近代まで宝物だし。

162:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:50:24.70 bp7B+3Xo
>>160>>156あて

163:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:50:30.79 Ww2P4IEJ
>>160
装飾品じゃなく薬として送っていたなら、大きさはあまり関係ない

164:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:51:04.71 tFNF5JKB
ちなみにあの時代、日本は金印を贈られたが、古朝鮮は銅印を貰っていた。
昔っから、馬鹿にされていた朝鮮。

これ一次資料でも証明されているが、左巻き歴史学者は口を閉じている。

165:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:51:17.40 AG7GLOTE
>公孫氏が滅ぼされた翌年、優位にあった魏を、卑弥呼が外交相手に選ぶ
公孫滅亡の頃って、魏呉蜀の三国体制なんてまだ無かったんじゃないのか?
魏に行ったのは、皇帝が居たからだろ

166:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:51:58.01 HYtZ/0t0
お前ら文章の世界に埋没しすぎだろ

1000年以上前の宝飾品とか博物館とかで見てこいよ。
子供のおもちゃかよ!っていうレベルのが多いぞ。

167:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:52:32.28 tqqBYUqH
もっと鋼鉄ジーグ寄りの会話になってるの期待したのにガッカリだ


168:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:55:26.48 9e8Umbs+
>>157
百済の救援要請を受けて軍を派遣したのは中大兄皇子です。

169:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:56:40.26 /4WT0alJ
>>159
神風特攻隊を神風と略しただけだが。
>神風は死ぬこと前提の手段で国を守るという行為でしょ。
これで特攻隊のほうだと分からないのなら相当国語力が低い。
おまえこそすでにコミュニケーションができていない。

170:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:57:35.03 bp7B+3Xo
>>163
仮定の話をするなよ。宝飾品だろう、まずは。
天然に取れたものに決まってるが、それを5000も撮るのは大変だ。
自分でとってみ。

171:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:57:40.70 9e8Umbs+
>>169
お触り非推奨の卍もここまでレスをもらえて冥利に尽きるだろうな。

172:諸君、ていうかお前ら!? φ ★
12/01/28 15:59:44.59
>>165
この頃はむしろ三国体制末期。諸葛孔明が死んで、司馬仲達がだんだん魏で力を持ち始めた頃。
(公孫氏を滅ぼしたのは司馬仲達だから)。

173:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 15:59:57.17 Ww2P4IEJ
>>170
当時、日本全国に漁師が数人しかいないと思ってるのか・・・・

174:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:00:10.75 /xfmcr/G
卑弥呼ってのはいないらしいよ
ネトウヨ学者の創作

175:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:00:23.50 2poplF6g
周りが海の日本と、酢に溶かしてまで飲みたい中国と温度差があってもいいじゃないw

176:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:02:30.94 PxA/FngC
ヘブライ系アラム方言で「ヤ・ウマト」という二つの言葉は、古代ヘブライ人の象徴「神の民」という意味を持つ
で大陸の人間が卑しい感じを割り当てた

177:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:02:57.46 krmm+G8Q
>>41
この論争の最大の目的って予算確h

178:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:04:31.40 /4WT0alJ
>>152
なるほど



179:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:04:36.66 9e8Umbs+
>>176
ではヘブライ人は神の民ではないと。連中にしてはやけに謙虚なことで。

180:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:04:40.45 bp7B+3Xo
>>173
あのなあ。何千人いようとそんなに取れる門じゃない。
自分で偶然にでも探してみろ。

そもそも、玉、というのが古代に珍重されてたのは常識だろうが。

181:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:06:19.90 HYtZ/0t0




それにしても、日本の歴史学者はナニも知らんから、本当に恐ろしい。

公孫が独立勢力になって、高句麗、朝鮮、倭などと密接しており、
皇帝を名乗って、朝鮮や日本と交易してたことも知らんのかね・・・

それで玉璽まで作って皇帝を名乗り始めたから、
魏が発狂して公孫を滅亡させたわけだから、
その翌年から大使が魏まで到達するのは当然の成り行き。

頭大丈夫かね。

182:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:07:38.17 bp7B+3Xo
>>163
それから、原文は白珠五千孔で、孔ということで穴をあけてたんだろうから、やはり宝飾品だな。

183:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:09:32.28 flc7FYGo
記者は小難しく考えてるが、魏が遼東公孫氏を倒して
楽浪郡や帯方郡を支配下に置いたってことは、
魏が平壌やソウル辺りまで支配してるってことだぞ。

冷静に見つめるも何も、当時の航海技術では
魏以外とはまともに交流できねーよ。

遣唐使の時代でも東シナ海突っ切るのは超危険だったのに。

184:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:09:58.89 Xmsr0ABg
勝って当然の大軍連れて遼東に行った司馬仲達は悪天候と疫病で大苦戦。
人口回復が当時の大命題だったのに。敵将をとりにがしたせいか、
大虐殺をやらかしてしまう。
「亡くなった将兵の遺族や文官どもから大尉どのの責任を問う声が。」
司馬懿「うぬぬ、なにかよい方法はないものか」
「大尉どの、幽州から逃げ遅れた倭の使者を捕らえたとの知らせが。」
司馬懿 ピコーン!!「それだ」

司馬懿「そちが倭の使者か?」
使者 「はい、命ばかりはお助けを」
司馬懿「よしよし、これからいうとおりにするのだぞ。ところでつれている2人も倭人か。」
使者 「いいえ、これは途中で捕らえた朝鮮人でございます。」
司馬懿「では、それを生口として朝廷に差し出すのじゃ、遠方の倭と遼東の間に
   妨げるものがないということがわしが公孫氏に逃げられたのではないということ
   の証拠になるのじゃ。」
使者 「朝鮮人はどうなるのですか?」

司馬懿「このたびの戦ではたくさん人が死んだ。墓前に供えるに
   敵の一族の首にまさるものがあろうや、皇帝も大歓迎される
   であろう。余計なことは言うでないぞ。」


185:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:10:20.45 al5wdGiV
いやー侃々諤々の歴史論争おもしろいね

186:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:10:47.65 A9rjMnlL
日中国交正常化40周年のために余計なネタ満載だことw

187:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:13:14.29 9e8Umbs+
>>186
わたしゃ中国政府の正常化を望みたい。

188:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:14:38.32 aHWDkvVE
劉備玄徳とか書く奴が歴史を語るなよ

189:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:15:04.82 K2O+uBoN
邪馬台国・大和国について妄想
卑弥呼   →卑+弥呼 →卑+みこ →みこ
神功天皇 →神功    →みこう   →みこ

古代支那読みで こう近づけること出来ないかね?
「日の巫女」に固執するのが解せない

物理専攻した門外漢なので同意は得られまい・・・

190:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:16:55.61 HYtZ/0t0
>>189


できない

邪馬台国→ヤマト→大和
卑弥呼→ヒメノミコト→姫の尊

ひねるな 普通に考えろ

191:諸君、ていうかお前ら!? φ ★
12/01/28 16:19:42.98
>>184
それは妄想すぎw

そもそも苦戦すら全くしてなくて、みなの予想を裏切るほどあっという間に攻め滅ぼしてしまったので、
「司馬仲達おそるべし」という声になってそれで段々閑職においやられ、それが後のクーデターとなっていく遠因となるのだ。

192:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:23:28.24 fV5KJRBH
>>105
笑ったw 中国人の見栄っ張りは大昔から変わってねーな。

このスレ面白いな。
まぁ要するに、ただの人間が「オレは天皇だ」「いや私は神なのだ」
ってそれぞれが勝手勘違い自称してたってことか。

193:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:24:01.09 AzSRL75r
大きな推測で嫌だなぁ
学者のパトロンがマスコミ中心でこうなって逝くのかねぇ

194:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:24:27.35 mzr7ehVW
確か邪馬台国の台って字が違うよね。
倭国が荒れたのは、日食が2回もあったからって話も聞いたことがある。

195:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:25:14.85 Xmsr0ABg
>>184
のつづき

使者 「あわわ、恐ろしい男だ。こいつに倭への道筋を教えてしまったら
   倭は滅亡したも同然だ。」

翌日
皇帝 「どっからきたのじゃ?」
使者 「水行7千里なんとかかんとか・・・・・」
なので記録どおりに旅をしても邪馬台国にはつきません

196:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:25:27.55 mKsaeqrL
そもそも当時、というか当時に近い古代中国語で
卑弥呼をヒミコとは読まない
ピミウォーかピミファ
邪馬台国の時代の日本語に至っては史料も無いんだから
全てこじつけになってしまう

197:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:26:08.63 xaZOxPpr

ヤマト=トトヒ(尊い日)モモソ姫が卑弥呼





198:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:26:34.11 lcGSewi8
司馬仲達は韓国人

199:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:26:49.74 fV5KJRBH
>>196
やめろw 腹がよじれるwww
昼間から酒飲むなよ

200:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:28:56.10 BIeqZpIS
>>196
それ言ったら朝鮮半島の歴史がw

201:ホロン部員 ◆t/GUd7ef.2
12/01/28 16:29:12.56 FlwZbp2O BE:95509038-2BP(2111)
キャップでスレ内会話すると怒られちゃうよ?

202:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:29:34.16 bhSOMaiS
漢委奴国王

203:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:33:12.53 jl1gTxBp
>>189
卑弥呼を秦漢音で読むと「ピミホ」に近いが、
上代日本語にハ行音が無い為、

「ピメヲ(姫王)」の可能性が高いとかそんなところで
止まってるみたいよ。

204:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:34:46.82 HYtZ/0t0
>>203
> >>189
> 卑弥呼を秦漢音で読むと「ピミホ」に近いが、
> 上代日本語にハ行音が無い為、
>
> 「ピメヲ(姫王)」の可能性が高いとかそんなところで
> 止まってるみたいよ。



しつこいのうwwwwwwwwww

ヒメノミコトだって行ってんだろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

205:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:53:48.46 /4WT0alJ
まあいずれにしても日本と支那は古代から友好関係といえるような状況にはなったことがないということだよ。
朝鮮にも同じことがいえる。
百済とは友好関係にあったし朝鮮半島にある国だったが百済人は朝鮮民族ではなかった。
むしろ歴史を見つめることで特アとの友好関係というものがいかに非現実的なことなのか再確認できるというものだ。

206:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:54:12.88 6aYZpwF6
神功皇后だと思うぞ。筑前に三韓征伐で来てたし時期的に三世紀中頃だ。半島平定した後で魏に断ったんでないの。

207:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 16:57:53.96 4fHUURxb
朝鮮人はその頃シベリアにいたんだから無関係

208:拓也 ◆mOrYeBoQbw
12/01/28 17:02:04.52 CuMk+fGO
>>1
ん、歴史素人乙、

卑弥呼の使節団は3ヶ月の道のりを1年以上掛かって到達したのが解ってる
司馬仲達の遼東攻略のスケジュールからして、

見事に足止めされてたと言うのが一般的な見解で
遼東戦後に外交したんじゃなく、外交中に巻き込まれたと見る方が妥当ですね

209:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 17:04:08.59 UAyhtU/V
造船技術がしょっぱい時代だろうに偉く交流が活発なんだね
ローマとブリタンニアほど海峡狭くないし攻めてくるなんてあるわけねーじゃんと思っちゃうのだが

210:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 17:05:06.47 HhYQAPGY
んな馬鹿な
卑弥呼が自分の意思で魏に朝貢したように書いてるけど
使者が魏に見つかったのが公孫領で
魏に送った貢物が生口(奴隷)3人と木綿の布切れだぞ?
周辺国家の貢物、光武帝の時代の倭の貢物、その後邪馬台国が魏に送った貢物
それらと比べても少なすぎる。

おそらくはある程度の周期で公孫氏に対し朝貢をしていて、
いつもどおり朝貢しに行ったら公孫氏が滅んでましたって所だろう。



211:拓也 ◆mOrYeBoQbw
12/01/28 17:08:36.28 CuMk+fGO
>>209
まあ当時朝鮮は公孫氏の冊封で国家の概念自体がありませんでしたからね
(高句麗はあったが北東部で、朝鮮西岸はすべて公孫氏)

それに光武帝の時代で既に倭国や奴国は中国と交渉してて
漢字や通訳がいた事もわかってますし

212:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 17:13:47.08 uMLk33cY
そもそも、上奏するには漢字の読み書き必須だしな。。。。。
卑弥呼の時代以前にも上奏して金印綬されてたから、少なくとも支配者階級は漢文読めただろうな。

213:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 17:14:16.67 92cbO2mN
漢委奴国王印だけど、これまで10個近く見つかっている金印や銅印で、
漢といった中国の国名が併記されているのはこれひとつだけ。

印璽は王朝の権威を冊封国に示すためのものだが、
さすがに中国もたとえ属国でも自国名を冠した印などは与えていない。

だが当時の委奴国の官僚が現代日本と同様だとすると
「漢と入れてくれないと漢から貰った物だと誰も分からないから、ちゃんと入れといて」
と頼んだのは委奴国だと思う。
「えっ、本気か」と漢もさすがに困った末に、上下ではなく、横に国名を並べたんだろう。



214:拓也 ◆mOrYeBoQbw
12/01/28 17:14:26.60 CuMk+fGO
>>210
魏志倭人伝を見れば解りますが
丁度、公孫淵が領地を拡大し燕王を号した時期だけ倭国の記録が残されてませんから

邪馬台国は公孫淵が生きてた時期だけ、魏との交流を断たれてた可能性が高いと思いますよ

215:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 17:19:39.38 2zYfNb9s
>>195
ワロタw
確か200年後くらい後に大法螺吹きがいて日本への目を逸らしたんだよなw
実は日本人最高峰の功労者w

216:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 17:23:31.94 WN5yRM6A
たかだか2000年前のこともよくわからん
文字を作れなかったのは痛恨だな

217: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 皇桜院清余介俊水子 ◆DKbQQS2/WA
12/01/28 17:28:41.19 amSdA07H
>>213
つ【親魏倭王】

218:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 17:33:41.78 OhQhDodj
東亜のレベル低下は著しいな。既に朝鮮人を笑えないレベル。

219:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 17:33:51.35 HhYQAPGY
>>214
俺が見た漢書と魏書には永初元年十月以降の倭人の記録なんてないんだけど
参考までに公孫淵が領地を拡大し燕王を号した時期以前の倭国の記録を書き下してもらえまいか?
魏志に倭国の記録が登場したのはそこが初めてで
そこの前だと光武帝に時代まで遡るだろ
もしかして(おそらく)公孫氏滅亡より前に起きたことである倭国大乱があったという記述があるから
それを知っていて魏書に書いた魏は公孫氏よりも前にコンタクトを取っていたみたいな話かい?


220: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
12/01/28 17:49:12.22 746/bcvY

ヤクザに市民が歩み寄る必死はない!!



221:< `∀´ >
12/01/28 18:02:08.04 FL1kaCR/
写真=3世紀の東アジアの勢力図
URLリンク(sankei.jp.msn.com)

で、チョン国はどこにあるニカ?

222:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 18:20:10.94 zVOmumIs
<丶`∀´>湧いて飛び出て、何で古百済が無いのかニダ

223:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 18:31:45.50 qxzvNihh
>>210
そうそう 倭国の奴が魏の人に拾われて洛陽行ったけど朝貢の時期を過ぎていたから
約一年魏国に留まって金印貰って帰ってきたって感じだから
卑弥呼へは事後報告だろ

224:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 18:36:03.49 mzr7ehVW
金印はなぜ志賀島にあったのか。

225:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 18:38:45.30 qxzvNihh
>>224
それ光武帝のときのやつ

226:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 18:38:47.12 RYtQPX9Y
> 東アジア情勢を敏感に察知し、中国の権威を内政に利用した卑弥呼。現在の「弱腰外交」に通じるようにも見えるが、自らの
国力と大陸の脅威を冷静に見据えた厳格な政治判断があった。近藤氏は言う。


事大主義
URLリンク(ja.wikipedia.org)


227:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 18:47:35.86 HhYQAPGY
諸説あるがそもそもなんで金印なんだろうか
金印紫綬で王を認めるなんてのは朝貢相手では最恵国待遇
他に金印を紫綬されたのなんて西の強国大月氏くらいのもんなのに
一介の東の蛮族相手にやるようなもんでもない
中華思想とかそういうのまで跨いだ問題なんだろうけど

228:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 19:10:39.83 IYrhGmGt
>>227
人口多いし、それなりの大国と認められてたんじゃないの?
時代が下るけど、渤海も唐を牽制するために、日本に使節送ったりしてたし

229:売春婦は韓国起源
12/01/28 19:55:39.08 yWEXuTzt
要するに産経は卑弥呼同様朝貢しろと言いたいのか?

230:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 20:14:58.91 +MW+VUZx
>>35>>55
それは中国にしか記録がなかったからだろ。
6世紀以降中国側の蔑称は使っていない。
あー倭寇ってのがあるか。

どこぞの半島のように別に劣等感かます事ないじゃない。

>>54
その時代、朝鮮なんてないし。

231:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 20:36:09.96 jEuU+T1p
呉の背後に大国としての倭国が有るんだよ。そう魏志に記述してある。ようは、呉に対する牽制ということ。

232:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 20:38:25.21 jEuU+T1p
倭の文字は別に悪い文字じゃないよ。倭が悪いというなら、なんで王朝名に魏なんてのがあるのか、説明して欲しいものだ。

233:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 20:52:22.95 psBp4/Qx
>>4
ジャイアント正平とか、アントニオ寛至とか、ジャンボ友美と言って良いですね?

234:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 20:54:37.74 psBp4/Qx
>>35
> もうさ、「卑弥呼」って当て字はやめた方がいいんじゃないか?

 卑弥呼なる人物は日本の歴史書に登場しないからです。

235:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 21:34:17.94 dGuVDadB
何故、和服を呉服と呼ぶんだろう?

236:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 21:38:40.39 ockFRcax
>>235
古朝鮮の呉地方から伝わったから?

237:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 21:44:02.43 2Hg+NOHn
呉服の語源は、中国が三国時代のときに呉の織物や着物の縫製方法が日本に伝わったことにあるとされる。
元々は絹製品を呉服、綿製品は太物(ふともの)と称し、昔は扱う店も別であった。
日本で和服という言葉が生まれる明治時代よりもずっと前の16世紀の時点で、
日本人が衣服のことを指して呼んだ着物(kimono)が、現在で言う和服を表す語

238:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 21:45:08.58 dGuVDadB
>231との関係でもあるのか?
朝鮮の呉地方とはどこ?>236

239:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 21:49:44.03 NXz3b8C1
>>215
>確か200年後くらい後に大法螺吹きがいて日本への目を逸らしたんだよなw

使者は嘘言っていない、任那日本府を含めて正確に記している
任那日本府の存在を抜きで資料読むと頓珍漢なことになる

240:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 21:51:34.78 eROdxTKX
日本で飛鳥より古い時代、江南に限らず中国のことを呉(くれ)と呼んでいたことすら知らん連中ばかりかよ。


241:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 21:52:09.20 /FPFespj
>>232
まだ人偏が付いてるだけましだろ。
魚偏の漢字あてがわれた最低の国もあるし。


242:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 21:58:05.36 J00do7ko
時代劇やらない悪影響かねぇ・・・
呉服問屋くらいみんな聞き覚えがあるものだと思ってたが

243:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 21:59:52.95 gHKq4mR8
ショック 趙雲はなすびだった 
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(www.officiallyjd.com)

244:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 22:19:04.30 D+Bea61z

卑弥呼って、ヒメ子なんじゃない?
平安時代でも女性名は○○子でしょう?
2世紀でも○○子だったということならすごい。
日本人は昔とほとんど変わってない。


245:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 22:20:03.50 NXz3b8C1
>239追記
從郡至倭循海岸水行歷韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里
始度一海千餘里、至對馬國、
帯方郡から直ぐに倭国領地になり、海岸沿いに行くと最初南次に東に出る
こちらから見て北岸に狗邪韓國(いまの釜山地域)七千里(短里)
狗邪韓國から対馬まで千里(短里)

とても正確に記している、史書だから当たり前ではあるが

246:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 22:24:11.62 g9zITPPc

ひともみにもみつぶせー!!

247:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 22:24:29.46 D+Bea61z
>>245
日本に関する記述は正確ではないのだから、使者が対馬あたりまでしか
来ないで、後は確かめずに書いたのでしょう?

248:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 22:24:36.82 2Hg+NOHn
任那日本府のWikipediaは韓国に荒らされてるな。
こいつら関係ないのに勝手に入り込んで荒らしてる。

249:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 22:29:21.07 uwl0GtxI
>>248
だよなw
その時代の半島人はとっくに滅んで、今の卑しい奴隷民族が住み着いちまったもんなw

250:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 22:29:38.43 NXz3b8C1
>>247
使者なのに訪れないなんてありえないよ、それじゃ使者じゃないし
正確でないって何が?

251:< `∀´ >
12/01/28 22:34:29.82 FL1kaCR/
>>247 >>250
金印は一等朝貢国にしか与えられなかった。
金印を持った使者が返書も持たずに帰ることはありえないニダ。

ちなみに当時のチョンは土印。

252:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 22:39:27.51 BcUGu8vs
<`∀´> ウリが仲介してやったニダ

253:< `∀´ >
12/01/28 22:47:41.09 FL1kaCR/
>>252
宿場町と仲介屋は違う職業ニダ・・・・・・

254:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 22:50:43.60 NXz3b8C1
>>248
[倭人在帶方東南大海之中]て書かれているからどうしようもないのにね。
普通に読めば「倭人は帶方から東南にある半島と海の向こうにいる」だから


255:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 22:52:02.22 edHQv+E6
>>227
すごく遠いから、金印を渡しておいても問題無し、っていう判断かと
魏は中国の河川で苦労しているから、「絶対にそこまで行けそう(=攻撃できそう)に無い」と

256:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 22:55:31.11 MOufyy4d
>>250
ありえないも糞も現実に記述と地理が全然一致しないのだから
対馬か九州北岸か、その辺までしか行ってない、その先はすべて伝聞を書いただけ・・・と判断するしかない


257:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 22:57:32.17 nwU1vYqg
>>245
慧深の逸話だろがw
映画にお笑いを求めている某漫才師はこれを題材にすればいいのにw

258:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 22:59:10.73 NXz3b8C1
>>256
>記述と地理が全然一致しないのだから

一致しているよ?、一致しないと思うところ抜き出して書いてみて。

259:< `∀´ >
12/01/28 23:05:53.26 FL1kaCR/
>>256
對馬に金印を与えるとしたら魏はチョン並みのバカニダ・・・。

260:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 23:22:05.12 nwU1vYqg
これを書いた人は天才w
>永元元年(499年)、扶桑国の僧慧深が荊州に来て言った。
>「扶桑国は大漢国の東二万余里(8700km余)、中国の東方にある。
おいおい、随分と遠いじゃねぇか。w と言うか日本列島は「扶桑」の先っちょ?
てかハワイ?カナダ?w
>また慧深はこうも言った。「扶桑の東1000余里(430km)に女国があり
まだ先にあるのかよ!w

261:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 23:24:14.23 RhYvN3cg
>>254
半島と なんてどこにも無いわけだが

262:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 23:29:22.84 RhYvN3cg
>>260
中国の東1700km東に扶桑、その80km東に女国
と読むのじゃ

263:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 23:34:47.29 NXz3b8C1
>>261
「東京の東の海の向こうにアジア大陸がある」と表現しないように
海の向こうだけさしているならば海岸沿いの地域を書く
狗邪韓國東南大海之中って感じで。

264:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 23:36:38.39 NXz3b8C1
>>263
タイプミス東→西

265:< `∀´ >
12/01/28 23:42:46.92 FL1kaCR/
魏のタイプライターにはスペルチェック機能がなかったとでも?

266:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 23:56:14.67 DDKxTUhd
>>1
何を言っているんだかw
魏志倭人伝をちゃんと読めやw
卑弥呼の時代、邪馬台国は
九州北部の伊都国に、一大率を設置していて、監視している。
九州なども、邪馬台国=ヤマト国の支配下にある。

267:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/28 23:59:09.02 AklCctwC
女王ヒミカの邪魔大王国はどこにあったのですか?

268:< `∀´ >
12/01/29 00:14:52.74 ZOpYSJhD
伊都国は熊襲に滅ぼされたのか、それとも伊都国が熊襲なのか・・・

269:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 00:21:33.60 MlamJm1D
卑弥呼は半島をすっとばして魏にあいさつしに行ってたわけだな
「海を越えた向こうに倭があり挨拶に来る」と史書に書いてあったわ

270:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 00:29:53.75 /4uraeYp
>>269
この時代の韓は、3つに分かれた上、その3つそれぞれが10以上に分かれてたから、
まともな外交相手に出来ないって。

271:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 00:40:31.90 M1Vmgjg6
>>269
つうか、帯方郡を通じての朝貢だから半島までしか行ってないのでは?
この時代の半島の主要な部分は中国だったのだから。

272:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 00:49:05.89 dpRnFyvC
>>271
皇帝に謁見したのなら首都にまで行ってないとおかしい

273:拓也 ◆mOrYeBoQbw
12/01/29 01:06:47.06 Ih4gDS4n
>>219
あともう一つの根拠として、邪馬台国の使者の曹叡との謁見時期ですね
公孫淵を破った司馬仲達が曹叡の死に帰還が間に合わなかった(ギリギリ間に合った説も)のに対し

邪馬台国の使者が曹叡と謁見してるという事は
当初から魏との交渉が目的だった可能性が高いかと

274:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 01:27:02.08 qVErogkS
>>272
おかしいというより行ったと書いてあるんだが。

275:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 02:11:36.60 Kqt1jjvF
>>23
遺跡がないのは,陸化してても人が入れなかったことも関係している。

関東の大きな河川沿いの低地は軟弱で,人が入りにくかった。
例えば草加付近は,江戸時代に一種の地盤改良工法が発明されてから街ができた。
それまでの街道は,わざわざ千葉の台地沿いまで迂回していた(遠回りなのに,わざわざ
矢切の渡しで江戸川(旧利根川)を渡っていた)。

276:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 03:26:00.23 EPVp/1N+
>>275
遺跡がないのは高度成長期の乱開発とも関係あるよ。
俺が通っていた福岡の中学校は建設時に敷地内から二十数基の亀棺が出土してるけど簡単な調査後に亀棺を運び出して校舎を建築してるし
その中学校から1kmほど離れたとこにあった友達の家の庭に錦鯉の池を作った時には縄目で模様を描いた素焼きの土器の破片が固まった20cmほどの層が見つかったけど申告せずに黙って埋め戻している。
この手の素焼きの土器や亀棺の破片が出たって話は問題の中学校の半径1.5km圏内に集中していたから
ちゃんと調査していればある程度の規模の遺跡群として表に出ていたはずだけど、当時は補償もないのに申告して工事が遅れるのは困るって考え方が一般的だったしね。

277:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 06:42:03.08 ZOpYSJhD
>>269->>271
当時の盲腸半島は政情不安で治安も悪く陸行する方が海上路より危険が危なかった。
もっともこの状況は1910年まで変わらんのだが・・・。

278:ぬこぷらす ◆TMb.tT1ehod4
12/01/29 06:48:46.89 NHm7vyI4 BE:2572366289-2BP(3579)
>>277
虎「ゴロゴロ」
うん。どう考えても海から行った方が生存世たかそうだにゃー


279:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 09:05:02.32 ihAmR9Sw
>>273
いやいや
>丁度、公孫淵が領地を拡大し燕王を号した時期だけ倭国の記録が残されてません
丁度、公孫淵が領地を拡大し燕王を号した時期これの前の魏書の倭国の記述を聞いてるんですが
あなたの読んだ魏書には書いてあったんですよね?
どういうことが書いてあったんですか?って単純な質問ですよ
ちなみに俺の読んだ魏書には倭国大乱やその他にも具体的な時期なんて書いてありませんでしたから
いつおきたことなんて分かりませんし
そもそも仮に倭国大乱が赤壁の時期に起きたことだと仮定しても
魏書の編纂の時期を考えれば、
赤壁の時代の魏の人間が倭国に大乱が起きたことを知っていたという根拠に
まるでなってないですよね。




280:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 09:55:24.60 2kiQdP14
卑弥呼はヤマトトトヒモモソ姫で確定だよ。
いまだに邪馬台国=九州説の奴は時代遅れもはなはだしい。
国もヤマタイ国ではなくヤマト国ね。
それから九州で発見された金印を漢の委(ワ)の奴(ナ)國王と読むのもアホ。
委はどう読んでも(イ)であって(ワ)とは読まないでしょ。
あれは漢(カン)の委奴(イト)國王と読むもの。
当時九州のあの場所にはイト国という国があった。魏志倭人伝にも出てくる。
今でもそこは糸島半島と呼ばれ(イト)という地名が残っている。
こんなのが教科書に載るなんて日本の学者って本当にアホだよね。

281:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 10:41:21.76 OXgJIl5C
>>244
いや、“ひめのみこと”だと思う。


282:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 10:48:15.02 OXgJIl5C
>>240
昔金達寿が本の中で、「呉(くれ)は高麗の訳。日本の文化はあれこもれも、ぜーんぶ半島起源ですよ!」
的な事を言っていて笑った。

283:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 10:52:59.99 bvrFCZDD
>>280
学者さんが研究したことを自分の成果のように語られても…

284:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 10:55:53.22 InfW7p+o
>>84
貢物はなはだ少なしな半島の発想ってブルセラだったんだな

285:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 11:01:20.86 4S1cmeIJ
「卑弥呼死す、大いに冢をつくる-前方後円墳の成立-」
邪馬台国とヤマトは繋がってるよね

卑弥呼の墓のそばでそっくりなヤマトの墓が見つかったし

286:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 11:05:09.26 fn2/vnF3
>>285
魏志倭人伝には墓は「径百余歩」とあるので、それを打ち消すには単純な年代とかじゃ厳しいと思う

287:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 11:09:00.56 hiV1BRsc
>>9
>その頃から東日本では栄えた土地は無いんだね

いや、千葉の市原には日本最古級の神門古墳群があるよ。
畿内とのつながりを考えると海人だろうね。

288:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 11:12:31.57 E43Wfd1I
偶然だろ
2世紀にそんな情報がホイホイ手に入るか
魏のほうがどんな国があるかもよくわからんのにその魏とは比べ物にならない偏狭の未開国がそんな情報もてるかっつーの
現代に毒されてるとこんなバカな考えできるのか

289:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 11:13:08.35 4S1cmeIJ
>>286
魏志は大陸人が書いたものだしなあ

290:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 11:16:26.68 fn2/vnF3
>>289
そもそも邪馬臺国は日本の歴史書には出てこない代物ですからねぇ
「魏志にこんな話がある」ってのが最大で

291:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 11:24:47.00 gbhnUXsA
公孫氏も東夷民族で韓国人だよね

日本が文化を教えてもらった証拠がまたひとつ



292:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 11:26:22.62 FMXKKslD
なんか邪馬台国=大和朝廷というのが定説になってるの?
俺のつたない知識では
小さな部族が多数存在する古代日本
           ↓
その中でも神の御神託を賜る巫女である卑弥呼を中心にまとまった邪馬台国が台頭。
           ↓
大陸よりより高度な組織力と馬を使った軍事力を有する今の大和朝廷の先祖が来襲。
邪馬台国を駆逐した。

というものなんだが。ソースは火の鳥だがwwww

293:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 11:28:40.91 qVErogkS
>>290
まだ洗脳が溶けないようですね。それはヤマトと読みましょう。
そうすれば山ほど出てきます。

294:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 11:29:26.71 gWt0s7CB
魏志倭人伝を書いた陳寿は卑弥呼と同時代人だし、実際に日本まで行った使節
の報告書を基にしている可能性が高く、全てデタラメと決めつけるのは間違い
だろう。

295:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 11:30:07.38 4S1cmeIJ
>>292
考古学は進歩してるんですよ

296:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 11:40:02.43 4S1cmeIJ
1998年1月10日、奈良、黒塚古墳から33枚!出ました!三角縁神獣鏡です。
邪馬台国最有力候補地、大和で初の大量発見です。
URLリンク(homepage3.nifty.com)

初期大和政権所在地から 三角縁神獣鏡32枚出土
URLリンク(www.v-rise.co.jp)

297:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 11:43:52.94 gWt0s7CB
三角縁神獣鏡は日本製の鏡だから、邪馬台国だった証拠にはならない。シナ
ではいっさい出土していません。

298:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 12:01:12.66 4S1cmeIJ
>>297
え?

299:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 12:01:38.40 tYVJDe21
いや猫耳外したからだろ

300:299
12/01/29 12:02:38.35 tYVJDe21
誤爆スマソ

301:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 12:17:09.45 R2rdUSIH
>>299>>300
なんだ、ごばくかよ
卑弥呼は猫耳女王か猫耳巫女だったのかと焦ったぜ

302:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 12:27:07.90 hiV1BRsc
>>297
紀年鏡はどう説明するの?
日本人が漢字を刻んだのか?

303:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 12:41:33.67 gWt0s7CB
>>302
日本人が漢字を書いたでしょうね、シナに朝貢してるんだから漢字を理解でき
る人間が居てもおかしくはない。

304:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 12:45:07.82 dpRnFyvC
邪馬台国は大和朝廷の前身だと俺は信じてるけどね
記録のない100年のうちに邪馬台国=大和朝廷が周囲の小国を征服していったんだと思うね

305:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 12:46:36.66 ANfisHyG
>>233
それは備玄徳とか亮孔明とか言ってるようなモン

306:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 12:47:42.10 y+xatdeu
>>304
邪馬台→大和
文字はだれがあてて誰が替えたんだろうね。
読みはほとんど同じなのが興味深い。

307:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 12:49:03.44 hiV1BRsc
>>303
その日本人は魏の年号を知ってて書いたのなら(そんな事はないだろうが)、
紀年鏡は年号どおり3世紀半ばでいいという事だね。
じゃ畿内説がますます有利だね。

308:ぬこぷらす ◆TMb.tT1ehod4
12/01/29 13:38:00.56 NHm7vyI4 BE:142909722-2BP(3579)
>>306
卑弥呼も日巫女か陽巫女か火巫女なんでにゃー?


309:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 13:49:45.48 huoUhICm



2009年11月10日
奈良・纒向遺跡に大型建物跡 卑弥呼の宮殿か(3世紀前半)
URLリンク(www.saga-s.co.jp)

2011年4月
纒向遺跡で確認された大型建物跡の東側から、3世紀後半以降の建物跡とみられる柱穴列を発掘。初期大和王権の中心的建物か
URLリンク(digital.asahi.com)



1998年1月10日、奈良、黒塚古墳から33枚!出ました!三角縁神獣鏡です。
邪馬台国最有力候補地、大和で初の大量発見です。
URLリンク(homepage3.nifty.com)

2011年11月1日
初期大和政権所在地から 三角縁神獣鏡32枚出土
URLリンク(www.v-rise.co.jp)




どう見ても邪馬台国とヤマトは連続してますありがとうございました

310:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 14:10:53.36 R+H4Jrmh
勉強してきた
卑弥呼は漢女道の使い手
コレ重要な


311:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 14:12:11.00 gzOq1BJT
日本人は、猫に仕えるために神様が創った人種

312:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 14:27:23.62 50VDizeW
>>311
w

313:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 14:38:33.88 tR/TCBWQ
>>308
日巫女.
「鬼道を用いて人心を惑わす」だから。
民が日食で怯えないように、自分の死後の太陽の軌道計算して天照伝説演出した
最初から民にネタばらしして(たぶん)、天岩戸でストリップショーまがいの事やったのが
使者は気に入らなかったようだ。






314:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 14:55:14.33 yO4jw6YF
>>308
俺は「やまとのひめみこ」だと思ってる

315:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 15:03:01.15 tqNObbyV
21世紀、荒廃し滅亡寸前の日本に救世主が現れる。それは、タイムスリップにより現代に召喚された卑弥呼であった。

316:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 15:03:34.57 MHNTvfJz
>>308
大和言葉に漢字の意味合いは無意味。
「ひ=あたたかい」と考えれば、日も陽も火も同じ。

317:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 16:06:36.63 fn2/vnF3
>>293
歴史を紐解くのに根拠と証拠に基づかないで当て込むのは愚の骨頂

可能性は排除しないけどねw

318:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 17:43:01.37 DKVSOiI0
邪馬台国はどこにあったんや!

319:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 18:17:03.96 02IOM4Ij
3世紀朝鮮はすでに王朝文化があった
4世紀に朝鮮から渡来人が渡り猿だった日本人が火と文明を教わった
朝鮮の伝説で朝鮮の漁師が日本の王になった書類がある

320:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 18:21:56.67 hGMLt3cI
>>319
>朝鮮の伝説で朝鮮の漁師が日本の王になった書類がある

なんて資料?

321:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 18:23:40.90 CgrlExm6
少なくとも4世紀には、朝鮮は何度も攻められてる。

346年 倭の軍隊が突然に風島を襲い、さらに進軍して金城(新羅首都)を包囲して激しく攻めた。【三国史記・新羅本紀】
364年 倭兵大いに至る。 新羅王はこれを聞き、とても敵わないと恐れる。【三国史記・新羅本紀】
391年 倭が海を渡り、百残(百済)、□□新羅を破り、これを臣民とする【広開土王碑】
393年 倭人が侵入し、金城を包囲して5日間も解かなかった。【三国史記・新羅本紀】
397年 百済、倭国と国交を結び王子の腆支(テンシ)を人質に送る。【三国史記・百済本紀】
399年 倭が新羅の国境に満ち城池を潰破し民を奴客とし、百済は誓いを違えて倭に通じた。【広開土王碑】
400年 倭が、新羅城の内に満ちる。新羅救援の高句麗軍が接近すると倭賊は任那・加羅に退いた。【広開土王碑】
402年 新羅、倭国と国交を結び奈忽王の子の未斯欣(ミシキン)を人質に送る。【三国史記・新羅本紀】
404年 倭、不軌にも帯方界に侵入し、高句麗軍と戦う。【広開土王碑】
405年 倭国に人質となっていた百済王子の腆支、倭国の護衛により海中の島にて待機してのち百済王として即位。【三国史記・百済本紀】
405年 倭兵が侵入し、明活城(慶州市普門里)を攻撃。【三国史記・新羅本紀】
407年 倭人が東部と南部へ侵入。【三国史記・新羅本紀】
407年 万を超える倭が進出。【広開土王碑】
425~443年の間 倭国王珍が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
451年 宋が倭国王済を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東将軍・倭国王に任ず。【『宋書』倭国伝】
462~478年の間 倭国王武が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・七国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
478年 宋が倭国王武を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭王に任ず。【『宋書』倭国伝】

322:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 18:36:05.72 iGYaz8BP
>>302
日本に来た呉の工人が刻んだ。
そうでなければ、「景初四年」などと存在しない年号など刻むはずがない。

323:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 18:45:23.02 0g8lDCBg
>>4
正論なのに、理解されないね。
劉玄徳か劉備

でも、小説家でさえ劉備玄徳と書いてるのがいるし。
だいたい、中学校の国語教師でさえそうだから・・・

324:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 18:50:57.23 02IOM4Ij
>>320
三國遺事

325:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 18:56:40.52 kJ/hP/yU
卑弥呼って神功皇后だろう。家永三郎一派の人は断定してるじゃん。

326:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 19:05:48.28 02IOM4Ij
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
韓国では日王が韓国人だった証拠がある
記念碑もある

327:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 19:20:16.99 DDmMeX4m
わ と読むから 土人と勘違いしてるんだろ? 委は ユダと読めよ
在日野人ども

328:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 19:44:32.17 QkEQLjXC
>>191
記録は当然大切なのですが魏志倭人伝が書かれるのが魏が滅んだ司馬炎以後ですし
後漢書が書かれたのがなぜか東晋さえ終わった南北朝時代のこと。
司馬遷のような硬骨の士がいたのは漢の時代まで。
魏や晋につくような連中がゴマスリしないとは考えられない。
魏のころに書かれた本当の後漢書が存在するといろいろと
まずいことがあったのでしょうか、それともいまあるやつの
出来がよすぎなんでしょうか。
おっしゃるとおり妄想の類ですが、つじつまのあわない記述に
当時の歴史家のためらいやせつない抵抗のあとをよみとってあげ
られないものかなと。
数人の奴隷もってきたやつ大歓迎して、おみやげいっぱいくれてるのに、
あちこちに屯田兵おいたり、まだ呉との戦いも残っているのに、
降伏してるやつ一人残らず町ごと皆殺しはおかしいですよね?

329:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 19:49:06.73 CgrlExm6
>>326
つまり、朝鮮併合は問題なかったって事だろ。
韓国人の天皇が納める日本が朝鮮を併合しただけだろ。

同じ民族の別々の国が一つになっただけじゃん。

330:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 19:53:28.21 tR/TCBWQ
>>328
>記録は当然大切なのですが魏志倭人伝が書かれるのが魏が滅んだ司馬炎以後ですし
>後漢書が書かれたのがなぜか東晋さえ終わった南北朝時代のこと。

「何故か?」って史記は以前あった国や民族が末期に堕落したので神から
我々に禅譲されたとの保証書もどき、だから滅んだ後に書かれる。


331:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 20:02:28.98 tR/TCBWQ
>330追記
>司馬遷のような硬骨の士がいたのは漢の時代まで。

その物語仕立てを作ったのが司馬遷。
本来ばらばらの歴史をつぎはぎして、少しは連続性のあるように見せかけた
マヤ文明とアメリカ合衆国の歴史が短冊のように連なっている形式、いわばペテン


332: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 皇桜院清余介俊水子 ◆DKbQQS2/WA
12/01/29 20:10:14.81 gQud65Ii
>>328
短期間で晋に滅ぼされた魏に後漢書を完成させるのは無理だし
東晋って阿鼻叫喚の五胡十六国時代でしょ
史書の編纂なんて無理無理

清史の編纂が今頃終わりかけてるのと同じ

333:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 20:35:35.73 wdlGpgLT
>>330
つ 東観漢記


334:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 23:19:03.66 DKVSOiI0
>>321
半島って激戦区ね

335:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 23:28:23.68 B/vWnm2w
東京は韓国のものだったのにアメリカが騙した
皇居を慰安婦のお婆さん達にあげるべきだ
朕はたらふく食ってるぞ

336:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 23:35:19.97 SZ1OntWZ

卑弥呼って魏の人の付けた蔑称でしょ。

本当は日巫女(ひみこ)なのがわかりきってるのに。


337:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 23:51:55.43 nO63TKt7
それどこに書いてあったの?

338:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/29 23:59:18.83 ESbbPH59
>>324
なんだ歴史的価値も無い、妄想の塊書物か。

339:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 00:05:21.36 niTkwWYX
>>1
えらくざっくりした地図だこと

340:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 00:15:05.85 jIkvE/qn
箕氏朝鮮ってあったのかな

341:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 00:16:07.70 sYidcrQO
みの氏朝鮮

342:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 00:34:37.71 wEjVL2Av
>>336
音のとうりに漢字当てはめただけだよ。
倭も一人称が「わ」だっただけで。

343:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 01:01:30.19 tyX1XvJn
卑弥呼は九州佐賀県人

344:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 01:05:13.94 j+wfSdDZ
中央電子台の「三国演技」は普通に面白かったな
日本だったら孔明死んだら終わりだけど、ちゃんと晋による統一までやったのはすごい。

345:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 01:08:58.68 1to0DJug
>>326
全部ソースのない妄想だな

ソース付きでおまえら朝鮮人の歴史を教えてやるよ

>辰韓傳 『有似秦語故或名之為秦韓』
>新羅本紀  『十年(193年) 六月倭人大饑。来求食者千余人』
>三国史記 『瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠繋腰、度海而来。故称瓠公』
>新羅本紀 『脱解本多婆那國所生也。其國在倭國東北一千里』
>三国史記 『元年三月、與倭国通好。以奈勿王子未斯欣為質』
>新羅傳 『其言語名物、有似中国人』
>辰韓伝 『辰韓在馬韓之東、其耆老傳世、自言古之亡人避秦役来適韓國』
>百済伝 『百濟者、本扶餘之別種、當馬韓之故地。其後有仇台者、為高麗所破、以百家濟海』
>百済伝 『其言参諸夏、亦秦、韓之遺俗云』
>隋書百済伝 『其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人』
>東夷傳百済 『其地自此為新羅及渤海靺鞨所分、百済之種遂絶』
>高麗史・耽羅神話 『我是日本國使也、 吾王生此三女、云西海中嶽降神子三人、將欲開國』
>日本書紀、唐貞観十六年条  『百済反覆之国、不可信也』
>広開土王碑 『百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民』


>>329

アホみたいなレスしてんなよ

346:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 01:23:04.00 jIkvE/qn
>>344
おおそなたもご覧になったのか
野沢那智といえば司馬懿


347:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 01:43:56.03 1/4RgFUq
>>343
吉野ガリってどんなヘアスタイル?w

348:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 02:42:15.06 RCq8G1G0
まあいくらwikiを改変しようと、歴史的な一級資料が存在し、研究者が世界にいて
さらに考古学的に遺跡が発掘されている状況では何の影響もないわね。
ネットの発達って、最終的には「いくら捏造しても」マジな知識に駆逐されるだけって事なんだから。

349:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 07:02:16.53 0WJcfMaM
チョンはずっと属国でまともな人を奴隷に出し続けたがら今みたいな奇形エラばかり残ったのだろうなw

350:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 08:07:40.31 ajbbBqCB
>>332
滅ぼされたんじゃなくて内乱で政権代わっただけだから。国力自体は変わってないし…

351:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 08:27:59.28 NjobRtyG
>>221

<丶`∀´> 古朝鮮帝国は ドコにか?

352:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 10:03:51.05 744D6wse
韓国ではいまだに江上波夫の「騎馬民族征服説」が「定説」だと認識されているようで、
近年もKBSが「天皇騎馬民族説」や「天皇高句麗説」の特集を組んだりしている。
大和言葉に騎馬や遊牧がらみの語彙が少なく、皇室の伝統行事を見ても、騎馬民族って
言うよりは、むしろ、稲作農民ムード満点。

353:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 10:39:34.47 jIkvE/qn
騎馬族の気質を全く感じさせないよな
神様の拝み方からして

354:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 10:52:42.65 Ub5oC+HQ
日本にもまだ信奉者がかなりいるみたいだよ>騎馬民族征服説
いい年配のおじさんが、ある日突然一般常識として話し出したりして驚いたことがある。
マスメディアでも、ときどきそういう人が出るしね。
手塚治虫もその説を使って火の鳥を書いてたんじゃなかったっけ?

355:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 10:56:19.79 shLoa5YN
>>323
諸葛亮孔明って表記はおかしいと薀蓄をたれてる本で、劉備玄徳って書いてるの読んだ記憶がある

356:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 11:00:39.97 TvFlRkZy
>>352
満州族やモンゴル人たちに多い染色体が日本にはまったく存在しないのになw

357:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 11:32:01.84 eHU2+c6M
当時そう呼んでいたっていうのは知識として知っておけばいいだけで、
現代人がそれに従う必要なんて全くないんだがな。
いいかげんうざい。


358:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 18:39:56.77 OfwehGEP
>>99
韓国=虎の威を借る狐

359: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 皇桜院清余介俊水子 ◆DKbQQS2/WA
12/01/30 18:43:04.66 Sv8kwDul
>>350
短い期間で後漢の歴史編纂を完了するのは無理
と言いたかっただけです


360:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 19:15:36.18 WkT8iW5g
騎馬民族征服説に対して、俺は近代日本における「自動車民族征服説」を提唱するね。

・明治時代には自動車が全く見られないのに、ほんの数十年の間に町中が自動車で溢れ返った。
・同様に、僅か数十年の間に出版物やテレビ番組、流行歌の歌詞、子供用のおもちゃ等あらゆる分野に自動車が登場する。
・自動車の出現と並行して、住宅や生活様式も他国の自動車民族(アメリカ人等)と似たものに変わった。
・また、この時期に他国の自動車民族の言語(外来語)が多く流入した。
・原住民族が自動車民族と戦争を行い、敗戦し支配されたという記録もある。
・また同時期に、海外から多くの移民が流入している。(島国の民族は移民を嫌う傾向にあり、民族が入れ替わったとしか考えられない)
・征服後の出版物等に「日本はアメリカ(自動車民族国)の51番目の州だ」という記載が数多く残っている。
・自動車民族と大戦争までしたのに、敗戦後僅かな期間で大の親米国へと変わっている。

こんなことは、民族が入れ替わらない限り起こりうるであろうか?

361:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 20:04:07.95 Bvyz56UZ
>>360
いい線いっている。
東大が弥生時代なんて概念捏造したから辻褄あわせのために
騎馬民族説でっち上げた。
縄文人が米をおいしく炊けるための土器を作っただけで、弥生土器なんてそもそも無かった
縄文土器:地面に置いて加熱、遠赤外線効果で栗が美味しく焼ける、米だと糊になる
新縄文土器(仮称):高温で米が美味しく炊ける、栗だと焦げる

362:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 20:05:41.17 I98I9ZTx
>>99
中国=眠れる豚
韓国=豚のう○こ

363:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 20:49:29.44 TMigzPCw
>>352
最初に江上の騎馬民族説読んだ時なるほどなと思った。
そのあとに今東光の元寇についての本読んでいてモンゴルがたとえ九州に上陸したとしても
瀬戸内海は水軍の海賊がいるし山陽山陰なんて森林で騎馬が進軍するのに適さない。
モンゴル帝国がヨーロッパの森林が始まるウィーン当たりでストップするのと同じ理由だろ
土器には船に乗せた馬の図があるから少しは来たかもしれないが征服というより
吸収されて消滅したという方が正確だろう。
なにしろ明治まで馬の断種という事しらなかったんだから
とにかく遊牧民は草原の民で水を嫌うし造船なんて矛盾している

364:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 21:33:35.98 KVn79Mqd
>>99
日本が一番人間に近い。
姦酷は畜生、虫獄に至っては妄想上の生き物w

365:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 21:39:54.67 KGxHtMOu
邪馬台国が日本にあったなんて考えるからいつまでたっても邪馬台国の場所がわからないのさ。

366:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 22:27:58.94 3gN8OtP1
朝鮮半島は独立国家であり、公孫氏に支配された事実は存在しない。
捏造記事はヤメロ。

367:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 22:38:07.51 A7vFBQuW
つ大清国属

つーか、当時の朝鮮は国だったかもアヤシイによって。

368:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 22:52:08.58 biYLD4Lj
>>318
もちろん九州だよ。
大体4世紀の遺跡を邪馬台国だなんだと・・・

369:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/30 23:03:23.41 kAjnCSaV
>>363
「騎馬民族」を定義していない以上、江上の主張は学説とは呼べない。
なお、騎馬民族なるものが上陸戦をやったとは、江上は主張していない。

370:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 01:03:37.03 t0IZQd76

■ 祖国でも蔑視される在日朝鮮人たち…在日朝鮮人という連中は売春婦の子孫だから… ■

韓国から来た韓国人と仕事上で接する機会が多いのだが、
何故か?…韓国に住む韓国人は「在日朝鮮人」を心の底から蔑視している…と感じる事が多い。
「在日朝鮮人という連中は、売春の為に外国に出かけた賤民(白丁)女の子孫だからね」
「在日朝鮮人という連中は族譜(家系図)も無い連中だからね」
…と、本国の韓国人は在日韓国人に対していう。

「族譜も無い連中」とは…日本での「被差別部落」出身という事らしい。
また、日本で在日朝鮮人の犯罪が多い理由も、「そんな連中」だから、犯罪者多いのだそうだ。
はたして「在日朝鮮人」が祖国ではどういう出身のなのか知らないが、韓国ではそう信じられているらしい。
しかし日本人から見ると、どちらも同じ朝鮮人…なのだが(笑)。

★…しかし、韓国の族譜(家系図)というのは、ほとんどが「捏造」された家系図だそうだから在日朝鮮人諸君も
安心してください…(爆笑)
■李朝の末期になると支配の力がしだいに緩み、お金で両班の身分を買うことが可能な状態も生まれました。
同時に家系図(族譜)を書き換えて自らを両班の家系に見せかけることが横行しました。
そして、戦後は朝鮮戦争の為に多くの戸籍が焼失したり紛失したこともあって、今ではほぼ100パーセント
の人々がみんな両班の家の出になっています。
…「日本の驕慢 韓国の傲慢」 p115 渡辺昇一、呉善花…より

■韓国人留学生が…「在日韓国人はコウモリみたいな奴らだ…祖国で国民の義務を果たせ」■

…しかし、世の中には韓国の国籍をもつ健康な男性でありながら、この義務を負わなくてもよい特殊な部類がいる
「在日韓国人」といわれる部類である。
韓国の国籍を持ちながら日本の永住権を持ち日本で生活しているコウモリ的な存在である。
国民の義務は負わないのに権利だけ持つ彼らは、韓国の国民でありたいのなら軍隊へ行き国民の義務を果たすべきだ
おいしい所だけを持って被害者面で甘えている彼らには精神的再教育が必要なのである
★ソウル出身 明治大学3年生 朴 
URLリンク(hoi333.blog.fc2.com)

371:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 01:20:43.66 Z4TVx0vu
江上の騎馬民族説なんて、日本でスーツ着てるヤツは全員イギリス人とか、
ジーンズ穿いてるヤツは全員アメリカ人とか言ってるのと同じだよ。

372:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 01:47:06.00 4GZJXWvP
東大系より京大系の史観の方が色々と正しかったということだな。

373:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 02:04:22.92 h95B/WZO
日本と百済の関係や日本が古代朝鮮半島を支配してた記述って
今教科書にのってないよな
これ意図的に削除されてるだろ

374:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 02:12:05.68 xDVMGMnC
うん

375:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 03:57:36.46 xcywvsE5
そういえば、中国人より日本人のほうが三国志に興味あんだよね。
台湾人なんか、「三国志知ってる?」って聞いたら、「日本のゲームだろ?」って答えたくらい。
そう考えると、韓国人のロマンティック歴史捏造も日本のオタク文化圏にあるといえるかもね。

376:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 04:58:52.90 t0Asz6uG
>>365
朝鮮人て邪馬台国は半島にあったと本気で思ってるらしいね

377:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 06:18:36.04 rkzbNBIV
>>256
現代人の地理観念で記述を読むと失敗する。
「倭は帯方郡の東南海中にあり」と黄河や半島より温暖な気候である記述でまず大雑把に把握するこ
とだよ。
温暖であることから九州しかないなんて言う人がいるけど、今冬の九州北部が雪に見舞われている一
方、四国・紀伊・東海の太平洋沿岸は雪がない現実をどう思うか。
倭が江南の海の向こうという認識との兼ね合いから、倭は半島から東南方向に「伸びて」いると見ら
れていたのではないか?
東南といってもきっちりとした方位ではなく扇状のものだ。
その中で同様の精度で南とするなら、南は東の「間違い」とか言わなくても成り立つ。




378:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 06:28:21.25 t0Asz6uG
>>377
半島から「海を渡り」って書いてるじゃん

379:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 06:31:47.01 qOQfvqoy
>>375
シナ語圏では三国演義って呼ぶからだと思う


380:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 06:37:04.57 rkzbNBIV
>>378
起点から任意の地点の方位を示すのに細かい情報がいるかね?
道中はその後の文で示せばいいし、そういう構成になっている。

381:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 07:06:02.73 t0Asz6uG
>>380
意味がわからないねキミ

382:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 07:17:30.37 rkzbNBIV
>>381
君の>>378が省略しすぎておかしいんだよ。
自分の頭の中しか見ていない。
こちらはこうじゃないかと予想してレスしたんだけどね。
>>377は「海を渡り」を否定したものではないよ。
もしかして他の人のレスの帯方の南の半島南部と云々というのと混同しているのか?


383:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 07:36:46.83 rbWHHYAu
>>382
15点

384:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 07:43:16.03 rkzbNBIV
>>383
おかしいと思う所があればちゃんと指摘したら?子供じゃないんだから。

385:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 07:50:15.82 VROuYz7K
面白いスレッドだ

386:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 07:53:20.98 KO33R2We
アスペみたいなのがいて面白いスレだね

387:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 07:55:43.30 Lxu926rm
>>11
巻向より、秋津遺跡だろ?

388:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 08:41:05.45 jmvjUyCX
>>379
演義はフィクション。恐ろしいくらい三国志を理解したフィクション
三国志に詳しい人は台湾サイトの原文等でなんとかしてるから、研究に関しては日本と台湾は抜けてる。
シナは焼却済で日本から逆輸入だし、朝鮮が独自のフィクション継続中には異論はない。

389:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 09:45:06.82 Y3aruyaP
日本人でも三国志なんてゲームでの知名度がほとんどだろ

390:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 10:29:54.66 mDsoHNJz
山東半島から中原くらいまで外百済。
日本列島は奈良百済だった。正式名称は????。

391:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 10:41:58.63 Dg57dqPo
>>377
あほか、お前より方位や距離に対する概念はしっかりしているぞ。
ただ電車や飛行機に乗っていれば目的地に着くわけじゃないんだからな。

392:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 10:49:23.28 kzAmPJzq
中国人の女の娘と三国志の話をしてて、好きな武将は誰か?と聞かれたので呂蒙と答えたら嫌われた


393:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 10:51:56.67 vdXCd5Jn
よかったな

394:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 10:54:32.49 c3PnLLhn
>>388
日本では、困ったことに演義を三国志って言ってるから。

395:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 10:55:26.69 c3PnLLhn
390
はぁ?


396:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 10:57:53.18 wIbKwlVX
>>378
「海を渡り」とは書いてあるが、「半島から」とは書いてないよ。
帯方郡や楽浪郡の場所だってどこにあったのか。
黄海は安全だから海を渡るのは陸地沿いより速いだけかもしれないし。

397:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 11:01:53.62 sVd7hQKJ
対馬海峡を横切るよりは楽だったかもね

398:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 11:21:15.11 vdXCd5Jn
>>396
半島からって書いてるよ

399:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 11:23:33.71 tjWxjuwi
安木美典氏の高天原の謎という本をたまたま読んだんだが、
魏志倭人伝だけでは位置を特定するのは不可能、足りない情報を古事記などの神話の地名と現代の地名の近似性、
実際の出土品の統計などで補完して考察すべきという立場で書かれているが
これ読む限りどう考えても邪馬台国は北九州だな。ものすごく納得できる。

400:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 11:33:26.63 zVxLP831
邪馬台国の本拠地は纏向だよ、九州のはその出先

401:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 11:42:14.46 MFN5wC5G
>>365
やっぱりエジプトだよな。なんといっても。

402:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 11:46:49.31 MFN5wC5G
>>392
>中国人の女の娘と三国志の話をしてて、好きな武将は

最近は娘のまえに女のをつけないと意味が通らない時代になったか。。。。
困ったものじゃの。

>誰か?と聞かれたので呂蒙と答えたら嫌われた

なんで?眼帯そしているからか?




403:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 12:08:30.92 6q5OsfOE
半島に日本領あったんだねえ
戦前に侵略のために軍がでっち上げた嘘だってどっかで聞いたのに
私の子供時代は左翼がうようよ居る時代だったんだな

404:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 12:52:34.43 x1gzfq7h
半島の前方後円墳を百済王に使えた倭人官僚の墓とかいうポン助がいるんだぜ。
立命館の山尾なんてそうだ。
何で官僚が百済王より大きく立派な墓を作れるんだよw

405:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 13:10:40.35 /BGOa6Y+
>>396
>帯方郡や楽浪郡の場所だってどこにあったのか。

何言っているの?

406:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 13:18:52.71 MFN5wC5G
帯方郡や楽浪郡はベネチアのあたり

407:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 13:32:46.03 kzAmPJzq
>>402
知らん。関羽討ったからじゃね?

俺は脳筋→軍師って流れが好きなんだが
あとCVが水橋かおりで再生されるって所も好きだ

408:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 13:55:35.97 /37omWdS
>>392
曹操好きの俺も嫌われるかな

409:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 14:19:27.27 4oxBbKQx
シナ人に嫌われようがどうでもいいわ

410:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 15:33:35.60 Dg57dqPo
>>389
お前NHKの人気人形芝居を知らないのか。

411:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 15:58:43.84 EE+TQLX/
蜀連中はうそ臭い

魏のが良い

412:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 16:09:54.64 kzAmPJzq
>>410
その番組での呂蒙の扱いだけは許せない

413:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 18:29:44.30 w4PgHnEv
陸遜が好きだな。

414:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 18:54:58.27 hQv/vhTZ
>>407
眼帯じゃなくて片メガネの方か


415:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 18:59:03.18 /WCECO1k
>>410
知ってますよ                           IQ1300!!!!

416:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 19:33:24.30 7B30bhV9
>410
あの人形劇は再放送できるのか、今。

417:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 19:43:31.07 8EF3Qz+1
卑弥呼も横山光輝三国志の読者だったのか

418:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 19:46:35.94 /BGOa6Y+
>>416
音声はそのままにハイビジョン3Dで撮りなおすんじゃないの。
放送業界は何故か気づいてないけど人形劇ほど3Dに向いているものはない
低予算でなおかつ、体感で等身大に人形を大きくするのも容易

419:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/01/31 19:49:38.69 F2l6/wNF
>>416
紳助がいるから不可能

420:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/01 00:28:50.58 h8hQb1Kg
>>419
そこは中田カウスさんで録り直したらええ

421:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/01 00:38:55.92 /vDZ0+ke
チョンw

422:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/03 11:15:47.22 G0427vN6
魏志に書かれていた日本人の様子
今とあんまり変わってないな
神道って縄文時代以前からあったものだからかな


その風俗(社会生活の意味)は乱れてはいない。
生で食べ物を食べる。
長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。
女は慎み深い。
国の大人は妬まず、盗みもなく、諍いや訴訟も少ない。
卑弥呼は「鬼道」を操る。
(当時の中国の文献では儒教にそぐわない体制を「鬼道」と表現している用法があるとして、
単に儒教的価値観にそぐわない政治体制であることを意味するという解釈がある。)


423:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/03 11:25:49.38 PzpOta+D
>>422
確定はしてないけど、卑弥呼が用いていた(と書かれている)“鬼道”ってのは、今で言う
シャーマニズムじゃないのか?
シャーマニズムなら神道とはちょっと違うような気がする・・・なぁ・・・?

神道の定義にもよるが

424:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/03 11:48:50.16 kwP2joQc
神道もシャーマニズムの一種でしょ
あまりに形式が整い過ぎていて、土着の原始宗教だと日本人は気付いてないけどw

425:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/03 12:35:30.21 vWckYxKK
>>422
デマが一瞬で駆け巡って暴動につながるあたり、
朝鮮人の気質もあんまり変わってない。

426:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/03 13:15:35.46 Xpy5qBfN
>>425
それどこに書いてんの?

427:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/03 14:18:54.00 Mpg0tIdi
>>424
気づいてるんじゃない?
気づいたうえで信仰しているように思うけど

428:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/03 14:38:21.21 vWckYxKK
>>426
うわ。反応があるとは思わなかった。
韓伝の部従事呉林のところだけどね、吏訳転じのところを、
あることないこと広まったんだろうなと解釈すると
ものすごく腑に落ちるって話。


429:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/03 23:59:20.90 ZHSNznBx
>>423
シャーマニズムとアニミズムが共存するのが世界の多くの無文字社会の共同体。
文字化と都市化(文明化)で祖霊や精霊が整理統合されて徐々に多神教社会になる。
原始神道はシャーマニズムとアニミズム、
古代に皇室周辺から始まって江戸時代以降系列化された新しい神道は多神教だろう。
殷周革命を踏まえた儒教史観では、周辺民族の「鬼道」は殷と重ねて見られる。

>>425
朝鮮の場合山岳信仰などのアニミズムはあるらしいけれど、
傍目にはシャーマニズムの力が強すぎてバランスを欠いてるようだ。
そうなると妖幻に惑わされやすくなる。


430:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/04 00:13:56.78 xviLTQcB
卑弥呼の鬼道と殷を結びつけたがるシナ人の電波ってまだいるんだ

431:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/04 03:44:38.86 gRFPRBMp
>>430
あほか。同源なんて言ってないだろ。
シャーマニズムなんて世界中にある。
漢人がよその土地でそれを見れば「ああ、殷にあったあれか」と思うだろ。


432:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/04 03:49:40.26 QDFZRi22
勝手に公孫[王賛]だと思い込んで、頭がおかしくなりそうだった
叛乱を起こした方か

433:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/04 04:18:03.47 jiBgYrTc
三国志みても司馬宣王の遼東遠征は鮮やか過ぎたから卑弥呼がちびったという説もうなずける

434:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/04 08:34:22.39 yr5H5EMc
>>143
最近、中国南部の方も移籍の発堀が進んで槇テンとか言われる国が有ったこと
が判ってるんだが、そこの移籍からも金印が出て来て、それが日本にさずけら
れた金印と漢字と持ち手以外同型なんだが。つまりは、漢ていう国が朝貢国に
されぞれ、持ち手に亀やら蛇やらを掘った印をさずけていたわけだ。三等国は
当然金印は貰えない。日本以外にも出て来てるんだし、どう見ても本物だぞ。
それとも、中国が下らん捏造して、日本の金印を真似て作ったとでもいうのか
ね。

435:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/04 09:45:27.30 fMP0cRUu
>>434
周回遅れにもほどがあるな。とりあえずこれを読め。
URLリンク(www.amazon.co.jp)

書いてあることが正しいかどうかは別問題だがな。


436:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/04 10:33:56.33 WMcMRS39
>>435
アフィリエイトか
(´・ω・`)

437:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/04 11:22:34.41 YDzI+GzZ
贋物ではないと思うけど、
宮崎市定が旧制第三校教授の折に「ホンマ物が2つあるんやで」って聞いた話っていうのは、
なんだったのだろうか。
後、京都高島屋で開催された『邪馬台国への道』展で、注意深い観察者ならば、
はてな?と気付くことがあったはずだが、今の私はこれ以上何もいい足すことはできない。(1983)
と意味深長な言い方をしているが、その気付くこととはなんだったのだろう。
少し気になった。

438:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/04 19:47:24.75 xBvsVbOP
>>434
チャイナは昔から捏造三昧だよ。
特に1995年以降にたてた伝説に科学的根拠与えようとするプロジェクトから
さらに酷くなった。

439:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/04 20:26:38.58 Nc4/itDz
>>435
「漢委奴国王」金印・誕生時空論 鈴木勉 著
もお勧め。

この本の中で書かれているが、鈴木氏は金印の加工技術の矛盾の論文発表したが
「五十年後にでもだれか是(論文)を引用してくれたら」との思いだったらしい、
つまり黙殺されるだろうと思っていた所、三浦氏が取り上げてくれたと感謝している

440:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
12/02/04 21:07:47.07 oxHi2mDF
「親魏倭王」の金印が発掘されたら胸熱

441:61式戦車 ◆T61MBTmjMw
12/02/04 21:27:11.19 fPFvK2ot
>>440
卑弥呼死んで割と直ぐに魏は滅んでるからなぁ。

442:三河農士 ◆R2srkOAYfTmd
12/02/04 21:32:55.55 M6uG5J4A
魏史倭人伝の正体は任那の王、都怒我阿羅欺等で
彼が大和まで行って見聞きしてきた話が魏に伝わり魏史倭人伝になったのではないか?
その為、投馬国(周防)を出てからの旅程が不明で長大なものになっているのではないかな。
(都怒我阿羅欺等は周防を出てからさまよって大和まで到達している)
魏に使いを送ったり援軍を頼んだのも都怒我阿羅欺等かその子孫ではあるまいか。

443:61式戦車 ◆T61MBTmjMw
12/02/04 21:41:29.79 fPFvK2ot
>>442
そんな面倒な事しなくても、魏から文官の張政がアドバイザーとして派遣されてるがな。

444:三河農士 ◆R2srkOAYfTmd
12/02/04 22:09:00.41 M6uG5J4A
>>443
いやいや、大和側の窓口というか、勝手に対魏外交をやってたのが誰かって事でね。


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