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(写真)
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▲ 故八幡伊三郎さんが竹島での漁獲量を記した記録の写し=島根県隠岐の島町久見
日韓両国が領有権を主張する竹島(島根県隠岐の島町、韓国名・独島)で、1936~38
(昭和11~13)年にアワビ漁をした隠岐の漁師が当時の漁獲量などを手書きした記録の
写しが、隠岐の島町内の民家で見つかった。アワビやサザエの漁獲量が日付ごとに記して
あり、隠岐島民の竹島での漁業の様子を詳細に伝える資料として注目される。
記録を残したのは、かなぎ漁の名人で1988年に93歳で亡くなった八幡伊三郎さん=
隠岐の島町久見=。竹島に関する資料の共同調査に取り組む県と町が、おいの八幡
昭三さん(83)=同=宅に保管されているのを確認した。
B5判大の写しは36年6月7~21日、同9月12~21日、37年5月29日~6月16日、
38年5月13日~6月14日の計4回の漁の日程や日付ごとの漁獲量などを詳しく記載。
36年6月の出漁では7日午後10時ごろ出港し、竹島に8日午前11時ごろ到着。9日付の
記述には「六月九日 アワビ取リ 二十一貫六百匁」とあり、約80キロを漁獲したことが
書かれている。
当時の竹島周辺は水産資源豊かな好漁場で、記録から伊三郎さんも計4回の漁でアワビ
約3トン、サザエ約1・4トンを採っていたことが分かる。
昭三さんによると、昭和40年代に伊三郎さんが、船上でも付けていた日記を基に、竹島
での漁の部分を抜粋する形でまとめた。昭三さんが「竹島は日本の領土で、実際に久見
住民が漁をしていた記録を残さなければならない」と作成を依頼したという。
伊三郎さんは親戚の求めに応じ1980年ごろ、アワビの漁場や簡略な漁獲量などを書き
添えた竹島の地図も描いているが、地図には毎日の漁獲量がこれほど克明には記されて
いない。
杉原隆・県竹島問題研究顧問は「竹島での漁の実態を示す漁業者の証言や写真はあるが、
出発や到着の日時、毎日の漁獲量などが詳細に分かる文書はとても貴重。出漁者直筆
という点でも注目される」と話している。
ソース:山陰中央新報
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