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日、露日戦争の時秘密裏に独島編入
日学者、独島領有権関連論文発表“敗亡後‘米、韓国領認定’抗議しなくて”
日本の国際政治学者であり韓国近・現代史研究者のツボイ・テルタカ氏が「露・日戦争と独島(ドクト)
(副題:日本海軍における独島の軍事的価値)」という題名の論文執筆を終えて、本紙ヤン・ビョンファン
鬱陵島(ウルルンド)駐在記者にこのような事実を知らせてきた。
ツボイ氏は去る8月鬱陵島を訪問、ヤン記者とのインタビューを行った後、独島博物館を訪問した席で
「国際政治学とアジア政治学を研究する人として独島は歴史的、民族的、文化的、国際法的に韓国の
土地」(本紙2011年8月17日付報道)と宣言して話題を集めた良心的な学者だ。
彼は「独島と露・日戦争は切ろうとしても切ることのできない深い関係がある」としながら、「独島海域は
日本帝国海軍にとって栄光の海域であったし、同時に帝国主義国家日本崩壊の序曲を演奏した海域
でもある。ただし重大な歴史的事実を知る日本人は殆どいないだろう」と論文執筆の動機を明かした。
論文は序論で「1905年1月28日、日本政府は内閣会議で韓半島と日本本土のほぼ中間地にある島リ
アンクール(独島)を編入する措置を取った。当時の背景を調べればちょうど露・日戦争が真っ最中の
時だった」としながら、「1904年2月10日に始まったこの戦争は、日本軍が苦戦して8月を契機に日本海
(東海)の制海権を掌握して戦いの形勢が逆転されたが、ロシアのバルチック艦隊の極東来襲に対応
する状況で独島編入を断行することになった」と明らかにした。
これと共に「独島編入は帝国日本海軍が目の前に近づくバルチック艦隊との一大決戦を控えていた時
にすぐに軍事戦略上の必要性で断行された」と説明した。論文の内容は露日戦争と鬱陵島の軍事的
評価、独島の軍事的評価、秘密裏に独島編入、日本海海戦と独島、日本帝国主義独島などに分類・
叙述されている。
結論では「竹島(独島)問題は詭弁、弁解の問題ではなく、帝国主義的領土拡大欲の歴史に関する問
題で、1905年、露日戦争が起きるまでは独島問題は日本にはなかった」としながら、「アジア征服を狙
った大東亜共栄圏構想が崩壊したにもかかわらず、日本は相変らず独島にすがっている」という内容
を付け加えた。
特に編入過程に対して論文は「大日本帝国はかつて露日戦争という時局に乗じて独島を編入してしま
った」と叙述して、「1945年8月15日に日本帝国主義は崩壊したにもかかわらず、ポツダム宣言を無視
してこの島の返還を拒否してきた」と説明した。
最後に論文は「米国が1949年まで講和条約の草案でこの島を韓国領と認定したが、日本政府は何の
抗議もしなかったし、冷戦と一緒に日本は緊迫した極東軍事情勢に乗じて、あれこれ言い訳だとしか
思えない主張で返還に応じないまま今日に至っている」としながら、「日本は帝国主義的発想が残って
いる限り日本政府は主張を変えないだろう」と結論付けた。
ヤン・ビョンファン記者
ソース:慶北日報(韓国語) 記事入力| 2012-01-04 (※閲覧注意:Googleでは「コンピュータに損害を与える可能性があります」と出ます)
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