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彼らはまた「ファクト」の制約に縛られることがない。推測や想像をもって、ある者を風刺し、
あざけり、またあることを暴露する。見ていて痛快で面白いと思えるほどだ。芸能人のような
記者という意味で、彼らには「リポテイナー(リポーター+エンターテイナー)」という呼称
が似合う。
伝統的な記者たちは、直接取材したり、確認したりしなければ、本能的に記事を書くことができ
ない。だが「新人類リポテイナー」たちにはそうした制約がないように見える。そのため、伝統
的な記者たちが打てない「ホームラン」もたびたび打つが、打率はそれほど高くない。
筆者は彼らが、新たなジャーナリズムのモデルを作り上げることを期待している。筆者は、彼
らの自由奔放な発信力によって鍛えられる読者でもある。だが、ファクトと推測をごちゃ混ぜ
にする様子を見ていると、ハラハラさせられることが多い。
記者には取材をめぐって、幾つかの「特権」が与えられる。ニュースソースに対する幅広いアク
セス権が認められ、たとえ誤報をやらかしても、多くの場合は免責される。社会が記者たちに
対しこうした特権を与えるのは、事実に忠実な守護者になれという願いを込めているからだ。
政治家はうそをつくことがある。作家は想像力をもって文章を書くことができる。しかし、記者
は違う。ファクトに対する絶対的な信心がなければ、最近流行語になった「コムス(小ざかしい
の意)」にすぎない。ファクトなしに主張するのは自由だが、そうするのなら「記者」を名乗る
のをやめてほしいと思う。
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版