11/12/27 21:35:43.98
URLリンク(cfile4.uf.tistory.com)
URLリンク(cfile9.uf.tistory.com)
北朝鮮と日本。一瞬、似たところは少しもないように見える二つの社会だ。だが、この一週間、記
者はこの二つの社会で妙な‘既視感(dejavu)’を感じた。
既視感の始まりは金正日(キム・ジョンイル)国防委員長の死亡の報せに接して座り込んで号泣す
る北朝鮮住民たちを見せながら‘北朝鮮当局による演出’‘生き残るための芝居’と解説している
フジテレビの画面からだった。日本人たちは国際社会で孤立した北朝鮮住民たちの誇張された反
応が非常に興味深いという表情だった。
だが、韓国人の私の目に北朝鮮住民の反応は全く馴染みがないわけではなかった。1994年、金
日成(キム・イルソン)主席死亡時の北朝鮮風景を思い浮かべたのではない。NHKをはじめとする
日本の放送が毎年8月ごとに繰り返し放送する太平洋戦争ドキュメンタリーの記録画面の中だ。
1945年8月15日ラジオで当時のヒロヒト日王の降参宣言が朗読されるや日本国民は東京の王宮
方向に向かってうつ伏せになって泣いた。うんざりする戦争が終わったという喜びではなく自分た
ちの不忠を恨む叱責の涙だった。誰が無理じいしたのでもなかった。日本帝国主義が作り出した
‘虚構の世界’に没入した日本国民自ら選んだ反応だった。
よく調べれば日王中心の旧日本帝国主義体制と金日成一族中心の現北朝鮮独裁体制は類似性
が少なくない。どちらの体制も個人崇拝体制であった。日王は自ら天から降りた「カミサマ(神)」を
自認した。工場と学校、官公庁、さらに民家にまで日王の写真を飾ってお辞儀するようにした。朝
鮮人らにまで日王を神であがめるように神社参拝を強要した。日帝の国民教育の目標は日王の
血統を万世一系に継続するために尽くす‘臣民’を育てるところにあった。
北朝鮮では日王が金日成一族に変わっただけで同じ現象が広がった。‘枯れ葉に乗って鴨緑江
を渡る神出鬼没の偉大な首領’のため全てを捧げようというスローガンが乱舞する。首領を人民
大衆の‘脳髄’と呼んで、人民を手足と表現する主体思想は日王が‘国家の主人’であり国民は単
にその命令に従う臣下と規定した日本帝国主義憲法前文を連想させる。
(中略)
両体制とも中高校生らにまで授業時間に戦闘訓練をさせた。日帝は少年全国体育典を開いてス
ポーツ種目でなく各個戦闘を競い、射撃、重武装して駆け足などの試合をした。北朝鮮も幼い青
少年らに同じことをさせている。日帝が‘強い軍事力だけが日本の生きる道’としながら軍事優先
政策をとったが北朝鮮では‘先軍政治’スローガンの下強行されている。戦争物資用意のために
極度に耐乏した生活を強要しながら徹底した食糧配給制を維持するのもそっくりだ。
よく北朝鮮が韓国より親日派清算だけは先んじたと考えやすいが体制だけおいてみればはるか
に日帝らしい。韓半島北部で日王の額縁写真がキム父子写真に変わっただけ、悲劇は今でも続
いている。
日本と北朝鮮が様々な面で似ていたという事実は日帝の崩壊過程が今後、北朝鮮政治の流れで
反復される可能性があるという推論を可能にする。日帝は敗色が深まると全国民に最後の瞬間ま
で日王のために戦って死ねという‘玉砕’命令を下して抵抗した。戦争末期、日王は置物に転落し
て軍部が全権を掌握した。
外部世界は日本がまもなく崩れると見たが洗脳された数多くの日本人たちの盲目的忠誠のおか
げでなかなか崩壊しなかった。これに真っ青になった米国が原爆という劇薬処方を使ってこの悲
劇は幕を下ろした。北朝鮮の後継者、キム・ジョンウンとその追従者が日帝の前てつを踏まずに
頼むから改革と開放、平和路線を選ぶように切実に願う。
キム・ドンジン東京特派員
ソース:世界日報ブログ(韓国語) 日帝と北朝鮮、あまりに似ている統治形態...
URLリンク(bluewins88.blog.segye.com)
関連スレ:【書籍】 今の北朝鮮の姿、過去の日本帝国にそっくり~「なぜ北朝鮮は極右の国なのか」[12/26]
スレリンク(news4plus板)