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∞韓国製鉄業発展の礎、韓日の功労者表彰
「1960年代の浦項は何もない野原だった。臨時宿舎を建て、そこに住み込んで溶鉱炉を建てた。つら
かったが、ポスコが成長していくのを見ると誇りや自信を感じる」
金塔産業勲章を受章した白徳鉉(ペク・トクヒョン)元ポスコ副社長(79)は11日、はっきりとした声でそう
語った。電話取材で白氏は「わたしは大したことはしていない。会社がよくしてくれた。当時は金属工学科
(ソウル大)を卒業しても就職先がなかった」と振り返った。白氏は浦項製鉄所の生き証人だ。1968年に
浦項製鉄の創立メンバーとして加わり、設備本部長、浦項製鉄所長などを務め、ポスコと共に半生を歩んだ。
白氏は70年代以降、ポスコが独自技術で溶鉱炉を建設する上で貢献した。白氏は「第2期溶鉱炉までは
日本人の専門家が監修した。完全な独自技術は第3期溶鉱炉からだ」と説明した。
白氏は浦項製鉄所長を務めていた80年代半ば、国産技術で自動車用鋼板、中東原油輸送用の高張力
鋼板を開発したことが一番記憶に残っているという。白氏は「石油やガスの輸送管は亀裂ができると大きな
被害を招くため、規格が非常に複雑だった。試行錯誤を重ねた結果、高張力鋼板の国産化に成功した」と
語った。
東塔産業勲章を受章した有賀敏彦・元日本プレスコンクリート社長は、新日本製鉄の浦項製鉄所協力
プロジェクトを統括し、同製鉄所の第1、2期溶鉱炉の建設で技術コンサルタントの役を担った。白氏は
「有賀氏が新日鉄の部長だった時代、韓国に派遣され、ポスコを助けた。わたしが作成した第2期溶鉱炉
の計画書を監修したのも有賀氏だ」と説明した。有賀氏は浦項製鉄所の協力プロジェクトに参加した企業
を率いる団長として、製鉄所の建設、設備調達、技術移転などを支援した。
趙亨来(チョ・ヒョンレ)記者
ソース:朝鮮日報日本語版 2011/12/12 09:32
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画像:白徳鉉・元ポスコ副社長(左)と有賀敏彦・元日本プレスコンクリート(現ジオスター)社長(故人)
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