12/05/31 23:29:55.66 LDrtkn7k0
続き
大きく分けて、
1、経済や生活のために、自動車を規制する訳にはいかない。
2、なにかしらの規制を強化して、自動車を扱う事のリスクを高める。
3、自動車が人類の妨げになるものとして、完全に撤廃させる方向に民衆を導く。
の3通りが考え方としてあると思う。
それなのに、2と3のような考え方ってほとんど度外視されてるよね。
運転手がつい居眠りしてしまう程、過密にスケジューリングしなければならないほど、夜行バスを運行させる道理なんか無いはずなのに。
経済の名の下に麻痺した感覚では、そんな当たり前の事も考えられなくなってしまう。
原発の事を考えてみると、上に挙げた自動車の例と似ていて(自動車を原発に読み替えてみてください)、
震災前なら誰が反原発を訴えようと1以外の選択肢は考えられなかったはず。むちゃくちゃな管理の中で、それでも安全を謳いながら、民衆を信じ込ませてたワケ。
それが今では、3の動きが主流になってるよね。
パチンコ屋とか漫画喫茶の駐車場に停まってる自動車を見るたびに、なんでこんなくだらないところに来るために
危険を冒して、空気汚して、それでもどうしてわざわざ車を出すんだろうと不思議でならない。
安全とか環境とか色々すっとばして「ラクしたい」という安易な欲望を叶えるために利用してない?、と感じる。
まあ、無くせってのは無理にしても、少なくとも自動車の規制の余地はまだまだあると俺は思うんだわ。
飽くまで「ラクしたい」スタンスを変えたくない為に、発想力、想像力がぬるいところで止まってしまってるように俺は感じる。
まとまってなくてスマン。