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★「離れている」
たとえその内容が事実だとしても、「なぜそうなったか」について思いを致さない発言を聞くと、やりきれない気持ちになる
▼2020年五輪の東京招致委がブエノスアイレスで開いた記者会見で、竹田恒和氏(日本オリンピック委員会会長)はこう語った。
「福島は東京から250キロ離れており、危険性は東京にない」
▼福島第1原発の汚染水漏れを懸念する海外メディアの質問に答えた。確かに事故現場と東京は接していない。
「(東京の)放射線量はロンドン、パリなどと同レベル」というのも現時点ではそうなのだろう
▼だがなぜ、東京で暮らす人たちの電力需要に応える東京電力の原発が、“離れた”福島の地にあるのか、
いまなお15万人が故郷を追われたままなのか。34年前、浪江町の農家は訴えていた。
「原発が安全なら、どこか賛成している所に造ればいい。わが家の前に造ることだけはごめんだ」(朝日新聞いわき支局編「原発の現場」朝日ソノラマ)
▼「離れているから安全」と言う人は原発を押しつけられた側を踏んづけている。被災地から心が“離れている”。
各国のメディアが抱いているのは、「事故収束はいつになるのか」「汚染は拡大しないのか」という疑問、懸念だろう
▼7年後は“遠く離れた”未来ではない。東京開催が決まったとして、世界中の選手が歓迎してくれるだろうか。心もとない。
北海道新聞 2013・9・6「卓上四季」 URLリンク(www.hokkaido-np.co.jp)