13/02/21 12:04:44.51 Weo3dDYn0
>>631
仙台藩なんかは実質150万石から200万石の国高があったのだが
江戸幕府から何度か取り潰しされそうになっていたので
分家に領地与えたりして本家よりも分家達の方が力持ち過ぎた。
また、家臣団は藩から米を支給するのではなく、小さな領地を貰っていた。
俺の先祖も自分の小さいながらも領地と在所と領民がいた(偉い人は館・要害・城が持てる)。
なので伊達宗家の石高は30万石程度で他150万石位は分家と家臣団の持分だった。
(家老の片倉氏で30万石とも言われる。サンドの伊達ちゃんの先祖(仙台藩家老)でも表高4000石
実高3万石弱位の領地があった。
なので、仙台藩の武家は豊かな生活を出来たし、領民も寒い地域や収穫量が悪い地域以外は
それなりに豊かな生活が出来た(但し領主による)。
その分藩主は先ほど延べたとおり雄藩よりも経済力が無かった。
幕末で活躍できた長州・薩摩・土佐などは
領地を家臣に与えず、給料を与えていたので、中級の武士でも貧乏で、
下級武士などはひどい生活だった。
薩摩も長州も土佐も会津も水戸も藩政改革をしてたので藩主に経済力と軍事力が掌握されていた。
(桑名や福井も)
平和ボケと言うか領民にゆるゆるな藩主ときつきつの藩主の違い
ちなみに伊達宗勝は仙台藩のそういったゆるゆるな体質を改善すべく藩政改革をしようとして
悪役にされた可哀想なひとである。