13/01/24 18:50:44.00 o1Rx6AS20
ローマがビッグクラブに近い体裁を整えたのは実は中田が移籍して来たあと。
放映権バブルと運営会社の上場によって潤沢となった資金を背景に、
上記のバティ、エメルソン、サムエルを獲得するなどイケイケの補強を行った翼2000-2001シーズンから。
さらにトッティーも、シーズン前のユーロ2000で大ブレイクし、後付wで本物の大スターとなった。
前シーズンは守備の出来ない中田と組まされて、尻拭いに追われ低調だったボランチのトンマージも、
中田がカペッロに見限られたことで足かせが外れて確変をおこし、イタリア代表でもレギュラー格に昇りつめた。
つまり中田は、強力メンバーが豊富に揃うビッグクラブのローマに移籍したのではなく、実は層の薄いメンバーの故障続出で、
プリマベーラの選手をベンチに入れるような状態に陥っていた中堅上位クラブのローマに、
その穴埋めとマーケティングで1999-2000シーズンの後半に移籍した選手だったということ。
そしてその翼2000-2001(ローマがスクデットを獲得した)シーズン、大型補強と既存戦力の底上げによって、
ローマがビッグクラブに伍する戦力を整えると、既にボランチでカペッロに見限られ、
直接の穴埋めとしてもエメルソンを補強されていた中田は、外国人出場枠の序列最下位におかれ基本ポジションはベンチ外。
半戦力外といってもいいような屈辱的な扱いをうけていた。
故障者、出場停止者の穴埋めで得られたたまの先発も下位の雑魚クラブ専門。
結局当時ビッグ7と呼ばれた優勝を争う上位クラブ戦では、14戦連続先発を外されたままローマを去っている。
結論として、ローマでの真実の中田は、トッティーのライバルどころか、
集金力を除く実力面では、エキストラレベルの脇役に過ぎなかった選手といえる