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G大阪の掛け違えたボタンは、最後まで掛け違えたままに終わった。変革への思いはあったはずだが、浮き彫りになったのはフロントの見通しの甘さ。
「世界のスタンダードなクラブにする」(金森喜久男社長)とのお題目を掲げながら、プロセスを描けていなかった結末が、クラブ史上初のJ2降格につながった。
◆3月末で解任
「掛け違え」は昨季終盤、西野朗元監督の契約更改に失敗したことが発端。10年間でG大阪を強豪に育て上げた功労者に対し、
「人事問題をシーズン中にするのは好ましくない」(金森社長)との理由で打診すらせず、業を煮やした西野元監督が報道陣に不満を漏らす事態となった。
慰留する機会はあったが、逆に何人かの選手とのコミュニケーションがうまくいっていなかった点などを挙げ、契約終了に踏み切った。当時、金森社長は「G大阪が成長するために決断した」と理由を説明していた。
しかし、後任に選んだ呂比須氏はJリーグで指揮を執るのに必要な資格を保有していないことが判明。別の適任者を探す時間的余裕もなく、呂比須氏をヘッドコーチに据え、師匠のセホーン前監督を新指揮官に迎える“応急処置”で済ませた。
だが、実際に指示を出すのは呂比須氏ばかりで、セホーン前監督は精神論に終始。西野元監督時代の自由度の高いサッカーからの転換も図ったが、「持ち味を出せない」と嘆く選手もいた。
結局、公式戦5連敗となった3月末に早々と解任し、生え抜きの松波正信監督に再建を託した。
◆遅すぎた補強
西野元監督時代を知る松波監督は回帰を図ったが、選手起用のタイミングなどで指導者経験の浅さを露呈。一度狂った歯車を元に戻すのは並大抵ではなかった。
実は、レアンドロや家長を緊急補強した後半戦は6勝7分け4敗と勝ち越している。だが、混迷した監督人事や、8試合無得点で途中退団した李昇烈に代表される外国人選手の補強失敗などが響き、巻き返せなかった。
その最大の責任は、どこかで降格するはずがないとタカをくくっていたフロントにある。「掛け違え」を解消するには、抜本的な刷新が必要だ。
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