12/11/03 22:08:11.39 0
(>>1から続きます)
柳田選手にとって“目の上のたんこぶ”というべき存在だったのが、1年早い83年に東京学芸大から
ドラフト外で入団した栗山選手だ。俊足が売りで内野手から外野手に転向し、右投両打というところまで
全く同じ。86年途中から正中堅手に定着し、89年には果敢な守備でゴールデングラブ賞を受賞した。
だが翌90年に就任した野村克也監督は柳田を主に中堅手として重用し、こちらもゴールデングラブ賞を
獲る活躍をみせた。結局、レギュラーの座を追われた栗山監督は、故障も重なり29歳の若さで現役を
引退することになる。
当時を知る球界関係者は「国立大卒の栗山はスマートで女性の人気も高かった。対照的に柳田は
徳島の山のほうの出身で、チーム内で『サル』と呼ばれていた。身体能力は抜群だが不器用で猪突(ちょとつ)
猛進型。柳田のほうが野村監督の好みに合ったんだろう」と話す。
栗山監督はスポーツキャスターの道へ。一方の柳田球審も94年に近鉄に移籍し、96年シーズン限りで
引退すると、審判員に転身した。
07年に日本シリーズに初出場を果たし、球審を務めた日本ハム-中日第5戦(ナゴヤドーム)では
山井大介、岩瀬仁紀両投手の継投による完全試合を裁いている。
無念の現役引退から22年。現場に帰ってきた栗山監督はパ・リーグ優勝監督として日本シリーズに
初出場。しかし晴れの舞台で、ユニホームを脱がされた因縁の後輩に、勝負の大局を左右する大誤審を
食らった。
球界関係者は「柳田さんは瞬間湯沸かし器タイプで、怒らせるとややこしい面もある。栗山監督の抗議に
顔が真っ赤になっていた。“先輩風を吹かすな”とカチンときたのかもしれない」とみる。現役時代は年上の
ライバルの栗山監督に対し、口もきかないほど強烈な対抗意識を持っていたとも。
試合後も報道陣に囲まれると、顔を紅潮させ「ヘルメットに当たっていると判断した」と主張。繰り返される
質問に「さっきから言ってます!」といらだつシーンもあった。
(>>3-10あたりに続きます)