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今はなき昭和の野球場をたどるこのコーナー。今回は、1937年に竣工され、王や長島、V9など、数々の伝説を生んだ後楽園スタヂアムを紹介する。
王が756号を打ち、長島が天覧試合でHRを打った後楽園にまつわる思い出─。
JR総武線・水道橋駅から神田川に架かる後楽橋を渡って、ライト側に歩を進めると、1番ゲートがある。通称「王ゲート」と呼ばれ、そこには王貞治の通算打率と本塁打数が刻まれたプレートがあった。
一方、地下鉄・丸ノ内線の後楽園駅から遊園地沿いを歩いて競輪場脇を進むと3番ゲートにぶつかる。こちらは長嶋茂雄の「長嶋ゲート」と呼ばれ、同じく打率と本塁打数が刻まれていた。
当時の後楽園球場には5つのゲートがあったが、そのうちの2つに背番号に因んだONの名前がつけられていた(これは東京ドームとなった現在にも引き継がれている)。それほど2人の存在は、後楽園という場所には欠かせないものだった。
開場は1937年。職業野球と呼ばれたプロ野球は前年に始まっていたが、当時存在した球場はプロが野球をするには小さすぎ、条件の良い神宮球場はアマチュアの独擅場となっていた。
プロが使え、アクセスの良い球場が必要とされた背景から、小石川にあった砲兵工廠が福岡に移ることをきっかけに払い下げられた国有地に建設された。
MLBのヤンキースタジアムを真似て作られた球場は、2階建ての多目的競技場。開場当初は、東京近郊に存在したプロ球団がこぞって本拠地として使い、1日3試合というスケジュールをこなしたことがあった。
ビリヤード場や映画館がスタンド下にあり、和食屋やそば屋の前には植え込みや石灯籠が置かれ、試合前に打ち水をする光景は、下町ならではの風情を感じさせてくれた。
戦後復興の最中での野球熱は、後楽園とともにあったといっても過言ではない。
>>2以降につづく
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