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ターザン山本のコラム(元週プロ編集長) 数年前の駒大苫小牧高の暴力事件について
●あれはあれ。これはこれは高校野球に関しては通用されてはならない。
この件に関して、漫画家のやくみつる氏と、スポーツジャーナリストの二宮清純氏の2人は、
駒大苫小牧の全国優勝とはなんの関係もない。優勝取り消しはすべきではないと語っていた。
なぜなら選手による暴力ではなく、あくまで部長がやったもので、選手にはなんの罪もないからだというのが主な主張だった。
ウン、その見方、考え方は正しい。間違っていない。
ただし1点、気になるところがある。
それは何かというと、高校野球の甲子園大会は、ボクからするとまったく100パーセント〝奇麗事〟を売っている世界なのだ。
それは白球を追う高校球児たちがまるでイノセントの象徴みたいな幻想で見られているのがあの夏の甲子園大会である。
そうであるならそこにかかわるすべての人間は〝全体責任〟をとる必要がある。
たとえば野球部以外の生徒が暴力行為を起こしても出場は取り止めにするとかである。
ボクは優勝は取り消しにしてこそ高校野球だと思うのだ。
あれはあれ。これはこれは高校野球に関しては通用されてはならない。
なぜなら全試合をテレビで全国中継しているんだよ。その意味を考えろなのだ。その特別扱いを考えろなのだ。
スポーツマンシップとは、表面上はあくまで清く正しくをモットーとする。
裏は知らないよ。裏は別世界だから…。そうしないと試合には勝てないんだから。
つまりはスポーツマンシップはダブルスタンダードになっているのだ。建て前重視のね。
そうであるなら建て前は完璧でなければならない。パーフェクトを原則とする。
この問題はペケ。バツ。判定は優勝取り消しにならざるを得ないのだ!