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プロとアマの分断、というか朝日新聞と読売新聞の野球を巡る争いは
1911年(明治44年)のという今日朝日新聞の野球害毒論から始まる
だから100年も同じことを延々と繰り返していて両新聞社のアイデンティティの一部を形成している
たとえば、これなど今起きていることと全く変わらない
「甲子園野球と日本人」 有山輝男 吉川弘文館 1997
このようなプロ野球台頭に対し、飛田穂洲は「大阪朝日新聞」1936年3月18日から四回連載で
「興業野球と学生野球」という論文を掲載し、職業野球は二流の選手を金でかき集めたにすぎず、
興業本意、物質本意の「見せ物野球」であると激しい批判を加えた。そして、「先人球士」が
「血を、汗を、涙を、その球心に注ぎ込んでいる、実に気魂のすべてを鋳込んで日本の武士道に混和せしめ
今日いふところの野球道を開拓した。」日本の野球をあくまで守らなければならないことを主張したのである。
彼は筆を続けて、「学生野球の練習場にありては虐待の限りを付くさねばならぬ、この虐待的練習によって
選手は一生涯における精神鍛錬が施され、一個の球の中に社会のあることを知り、人生を悟るのである」と
まで唱えた。
こうしたプロ野球批判に読売新聞側も黙ってはいなかった。読売新聞運動部長、
大日本東京倶楽部総監督としてプロ野球成立に尽力した市岡忠夫が猛反駁し、
「読売新聞」3月28日・29日に「球界の暴論を駁ただす」という論文を連載した。
市岡は、巨人軍はけっしてインチキな「見せ物野球」ではなく、「大和魂を打込む独特の日本式野球」であり、
職業野球団こそ「「躍進帝国」の使命を担ふ」のだと主唱したのである。