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吉本興業と山口組のつながり および 島田紳助引退
1912年 吉本泰三が吉本を始める。
1924年 泰三死去。妻の吉本せいが継ぐ。
1934年 吉本せいが山口組二代目山口登組長と接触。
1942年 吉本せい依頼の興行トラブルを請け負った為に山口組二代目山口登組長死去。
1948年 吉本せいの弟、林正之助社長就任。
1968年 林正之助社長、山口組三代目田岡組長と共にレコード会社乗っ取り容疑で逮捕。兵庫県警内部資料『広域暴力団山口組壊滅史』には「山口組準構成員 吉本興業前社長 林正之助」と記載。
1999年 ・林正之助の娘婿の林裕章社長就任。
・元プロボクシング世界王者の渡辺二郎が銃刀法違反容疑で逮捕された際、翌年の公判で島田紳助が証人として出廷していた。 後に、渡辺二郎は山口組系極心連合会相談役就任
・、中田カウスは山口組五代目渡辺組長のパーティに出席し、渡辺と知り合いになったことをいいことに「五代目と懇意である」と殊更に芸人の前でアピールし、自分に逆らうと五代目が黙っていないと芸人を脅かすようになった。芸人は誰もカウスに逆らえなくなった。
・島田紳助が渡辺組長から時計を贈られたことがあった。ところが、これがすぐにカウスの知るところになって問題になった。 カウスはすぐさま紳助を呼び出して、もらった時計を返却させた。 カウスは、この話を社員に語る際、「紳助よりもワシのほ
ワシのほうが渡辺五代目とのつきあいは太いんや」と話した。
・中田カウスは林マサ(林裕章社長夫人・林正之助の娘)の依頼で林裕章社長の女性スキャンダル解決に山口組系組員を紹介した。